2011年11月15日火曜日

好きこそモノの上手なれ、か?

昔、知り合いがケーキ屋でバイトをしていました。
そこのケーキは、あまりケーキが好きではない自分が食べても美味しい、非常にレベルの高い店だったんですね。
ところがバイトをしている知り合いに聞いて驚いた。そこの店長というか、経営者というか、職人というか、とにかく当のケーキを作ってる人は、アタシと同じくあんまりケーキが好きでないらしい。
これは大変なアドバンテージだと思ったんです。もちろんいい意味で。

自分が好きで好きで仕方がない物をつくる、といったことを生業にする。それは一見とても幸せなことですが、当人にとっては幸せでも、周囲の人も幸せとは必ずしもならない。
ケーキ屋の例が一番わかりやすいです。
もしケーキが好きで好きで、みたいな人だと、どうしても自分で作ったものにたいして点数が甘くなると思うのです。だってそんだけ好きなんだから、おそらくケーキでさえあれば何を食べても美味しいと思えるはずです。
が、あんまり好きでない物を作るとなると、どうしても点数が辛くなる。そりゃ味見を繰り返さなきゃいけないんだから本人は苦痛でしょうが、ケーキが好きではない自分が食べても美味しいと思えるものを作るというのは、つまりハードルを相当上げた状態なわけです。
要するに「繁盛できるレベルの味に達しやすい」とでもいうか。

好きな物を作って生業にしたい、とか絶対やめておいた方がいい。趣味の範疇で留めるのが無難です。もし「商売になるなら嫌いになってもいい」という覚悟があるか、逆に「どんなことがあっても(極端にいえば自分にとって大切な人の生死を分けるようなことがあっても)好きであり続ける自信がある」というなら別だけど。

よく「好きこそ物の上手なれ」といいますが、これは違うと思う。始めるにあたってのとっつきはいいかもしれませんが、好き、というのが最終的に上達の妨げになる。
好きだから修練が苦にならないんじゃない?という考えもあるでしょうが、「苦」がなければ修練が身にならないと思うんですよね。苦しくて苦しくてしょうがないから、それを乗り越えるためには、苦しいとか感じられないほどの技能を身につけるしかないわけで。言い換えれば楽をしたい一心で力をつける、というか。そうやって身につけた技能は強いです。

何もね、苦手なことをできるようになった方がいいとかいってるんじゃないですよ。苦手と好きじゃないは全然違う。でも人には好きじゃないけど得意、得意とまではいかなくても、妙に軽々とこなせてしまえる、なんてもんがあるはずなんです。
全然好きじゃないけど、これしかできないから、でもどうせやるなら自分が満足できる物が作りたい。
そう思えるような仕事につけたのなら、自分のみならず周囲も幸せになると思うんですがね。どうでしょうか。