2009年1月9日金曜日

「封印作品」作品の技量

読ませる文章、とはどういうものなのか、考えると夜も眠れなくなる。

ついこの間「封印作品の憂鬱」を読了した。
「封印作品の謎」も「封印作品の闇」も両方面白かったので、「憂鬱」もあわてて買ったのだが、とにかく読ませるシリーズである。
これまでも封印されたテレビ番組、映画、レコードにスポットをあてた本はあったが、どれもコラム的な紹介にとどまり、読むというより眺めるという体のものばかりだった。
しかしこのシリーズは違う。松本清張の「日本の黒い霧」を彷彿させるような"煮詰め方"で、しかも驚くほど読後感がいい。
扱う題材が題材なだけに、一歩間違うと不快感を催したり、どうしても謎解きが完遂できない時には消化不良をおこしたりしそうなものだが
このシリーズはそういうのを一切感じさせない。
自分のようなものがいうのは僭越なのだが、結局文章が巧みなのだ。
この手の本は大抵作者の思い入ればかりが強くて、それに文章がついていってないものがほとんどなのに
この作者はあえて「特別ファンではない」ものを取材対象として、一歩引いたところにいる。
だけれども取材は綿密だ。綿密な取材を重ねることによって、個人的な感情も露呈させていくのだが、それが読む側の気持ちを熱くさせて一気に読ませてしまう。

本当は自分もこういう文章が書きたいんだがね。テクニックの問題ですな。それを考えると自分より若いのにこれだけ読ませるテクニックを持ってる作者の安藤健二って人は本当にすごい。
これぐらい若くてこれだけの文章を書ける人を自分は他に知らない。