2009年1月12日月曜日

泣き笑い

泣き笑いをフィクションとして表現するのがどれだけ難しいか考えると夜も眠れない。

2007年度下半期に放送された朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」は視聴率こそ悪かったものの一部で熱狂的なファンを生み、DVDの売り上げもよいらしく、放送が終了した後もファンミーティングが行われるなどしている。
自分からすればこのドラマの視聴率が悪かった事がおかしく、熱狂的ファンが多いのは当然だと思っている。
「ちりとてちん」は近年稀にみる、いやそもそも作劇でほとんど成功した例のない「泣き笑い」を作り出すのに成功しているのだから。
「泣き笑い」というのはよく誤解されるが、泣かせることと笑わせることが交互にくる状態ではない。
泣くと同時に笑いがこみあげてくる、もしくは笑うと同時に涙がでてくることを指す。
しかしこれをフィクションでやるのは至難の業だ。
山田洋次は泣き笑い劇の名手といわれるが、実際「泣き笑い」のあるシーンはあまりない。とはいえ全然ないわけではなく、はっきりいえばひとつふたつあるだけでも凄いことなのである。
もうひとり日本には藤山寛美という天才喜劇役者がいたが、基本的に古い台本でやることが多かったため、肝心の泣かせる部分が日本人の心境とはズレていってしまった。
それを「ちりとてちん」は藤山寛美のような天才抜きで成立させてしまったのだからたいしたものであり、評価されてしかるべき作品なのである。
もちろん渡瀬恒彦のような名人がでていたこともあるが、あくまで群衆劇であり、まんべんなくいろんなシーンで「泣き笑い」を作り出すことができたのは、ひとえに脚本の出来のよさのおかげだろう。

比べるのも申し訳ないレベルだが、今放送されている「だんだん」の脚本の、いや脚本とすら呼べない酷いものを見るたびに「ちりとてちん」がいかに優れていたかを思い知らされる。

「ちりとてちん」(脚本・藤本有紀)も「だんだん」(脚本・森脇京子)も、どちらも新進気鋭の女性脚本家が担当しているという共通点がある。しかしまさかNHKの担当者もここまで差がでるとは思ってなかっただろう。実際こういう例を自分は他に知らない。