2011年2月28日月曜日

LOVEマシーンに思ふ

藪似です。1997年頃の話になります。
当時アタシは音楽活動に没頭していました。6人でユニットを組み、オリジナルの楽曲の制作に励んでいました。
「とにかく一回売れなきゃ本当やりたいことはやれない」。それがアタシたちの共通認識でした。だから多少本位でなくても売れセンの楽曲をつくろうー。
合議の結果、キーワードとして上がったのは「ジンギスカン」でした。同名のグループによるこの曲がヒットしたのは、当時から換算して約20年前でしたが、なんとなく、これを現代風、自分たち風に化粧直しすればイケるのではないかという確証が全員の中にあったんです。
結局ジンギスカン風の楽曲が作られることはありませんでした。アタシたちのユニットが諸事情から消滅してしまったからです。しかしこのアイデアは惜しいとずっと思っていて、個人的にチャレンジしてみたのですが上手くいきませんでした。

だからモーニング娘。による「LOVEマシーン」を初めて聴いた時、心底やられた!と思いました。着想としてはアタシたちの方が早かったのに!とね。
もちろん当時、時代の寵児になりかけていたモーニング娘。だからこそあれだけヒットしたのでしょう。アタシたちがやってもあんなにヒットしたとは思えない。しかしそれでもそこそこ話題になったんじゃないか、それをきっかけにそこそこのポジションを掴めたのではないか、そんな思いがなかなか消えませんでした。

しかしジンギスカン風楽曲を歌ったのがモーニング娘。でよかったとも思ったんです。いやよかないよ実際。そりゃアタシたちが歌った方がよかったに決まってる。でも何故か「ASAYAN」でリアルタイムで活動を見てきたモーニング娘。なら、ま、いいんじゃないのと思えたのも事実です。
アタシは基本的にアイドルと呼ばれる人には一切興味がない人間なので、誰がかわいいとかは一切ありませんでした。どころか、どいつもこいつも微妙なツラばかりだな、こんなのどうするつもりだとかなり醒めた感じだったのをよく憶えています。
しかし「微妙なツラばかり」だからこそ少し肩入れしたくなるというフシギな魅力があったのも事実で、それまで中ヒット留まりだった彼女たちが「LOVEマシーン」で完全にブレイクしたことは喜ばしいことではあったんです。

さてこのネタは元祖yabuniramiJAPANの頃からずっと書こうと思ってました。しかしブログを始めたのが2003年。まだモーニング娘。はトップの位置にいて、名前を書いただけで検索でおかしなのがわんさか見にきそうな雰囲気で、とてもじゃないけど怖くて書けませんでした。
今、こうしてやっと書けるというのは、モーニング娘。の凋落があるからなのですが、それはそれで少しさみしい。もう知ってるメンバーがひとりもいない時点で気にする必要はないのかもしれませんがね。
栄枯盛衰はしょうがないにしても、一応アタシの「音楽で食う」という夢にトドメを刺したわけですから、やっぱりもうちょっと、頑張ってくれなきゃ困るよという心境なのです。