2011年4月20日水曜日

天才の扱い

藪似です。先日「生誕100年 岡本太郎展」に行ってきました。
はっきり申し上げまして、青山にある岡本太郎記念館や、川崎にある岡本太郎美術館の方がずっとよろしい。
岡本太郎の作品って、整然とカテゴリ分けしてしまうと良さが死んでしまう。よくこれだけ揃えたなとは思いましたが、整然としている分、岡本太郎の作品が持つパワーが削ぎとられている気がしたんですね。
それに・・・UKで大英博物館に行ったすぐ後だったからでしょうか、異様に堅苦しいというか、5mおきに警備員が立っていて、少しでも作品に顔を近づけると直ちに飛んでくる。
こういう作品の見せ方って岡本太郎がなにより嫌悪していたことなのにね。あれほどの人でも死んだら本人の意思と真逆の扱いをされるということか。正直悲しくなりました。

少し話は逸れますが、大英博物館もだし、ナショナルギャラリーもそうだったし、あっちは日本人の感性からしたら信じられないくらいアートに接することができる。
驚いたのが、地元の中学生か高校生が座り込んで作品を模写しているんです。酷いのになると寝そべって描いている子もいる。
そんなのを直近で見たからだろうね。余計窮屈に感じちゃって。

そんなわけで非常につまらなかった「生誕100年 岡本太郎展」なんですが、テレビで活躍する岡本太郎みたいなコーナーがあって、これは非常に懐かしかった。そうそう、アタシが子供の頃の岡本太郎ってこんな扱いだったんだよなぁ。

そういえば子供の頃、アタシはずっと「岡本太郎は大阪の人」と思い込んでたフシがありました。
キダ・タローと混同していた可能性もなきにしもあらずですが、まず太陽の塔。いうまでもなく大阪にあります。
(どうも万博にも連れていってもらったようで写真も残っているのですが、2歳にもなってないので記憶がまったくない)
そしてもうひとつの理由が近鉄バファローズのマークです。母親から「あのマークは岡本太郎がデザインしたんだ」とずっと聞かされていたのでね。
近鉄バファローズといえば、これまた完全に大阪ですからね。

しかし実際岡本太郎と大阪の縁は薄い。アーティスト・岡本太郎の最高傑作である太陽の塔と、プロダクトデザイナーとしての岡本太郎の最高傑作である近鉄バファローズのマークがたまたま大阪にゆかりがあっただけで、アトリエも立体造形物も、ほぼ関東に集中しています。

しかしそれでも岡本太郎=大阪というイメージが拭いきれないのは、やはりバラエティ番組での岡本太郎をずっと見ていたからでしょう。
大抵目ん玉をむき出した例のポーズで登場し、審査員席みたいなところに座らされて、何か発言するたびに小馬鹿にされたように笑われる。こういう存在は大阪ローカルのバラエティでは珍しくなく、だからこそ余計に大阪ぽく感じたんでしょうね。
もちろん今はわかっています。岡本太郎はずっと岡本太郎を演じていたことは。
岡本太郎は自分は生贄になる、と生前語っていました。「おかしなオジサン」としてブラウン管に登場することによって、アートをもっと身近に感じてほしい、そんな意思がビシビシ伝わってきます。
これがどれほど凄いことか。笑われる、小馬鹿にされることなど些細なことなんだ、それより人々がアートに興味を持たなくなって、感じる力が落ちることの方がもっと怖い、そう信じて行動できただけでも岡本太郎は天才だったと言い切れます。

さてNHKで放送されたドラマの話を。震災の影響で飛び飛びの放送になってしまいましたが、よくできていたと思います。松尾スズキの演技は賞賛に値するでしょう。
しかし、だからこそ、その NHKが噛んでいた「生誕100年 岡本太郎展」があの出来だったのが歯痒い。もう少し何とかならんかったのかねぇ。