2009年4月2日木曜日

なんてタイトルだと天声人語みたいなもんだと思われそうで夜も眠れない。

昨年末、WOWOWで「藤子・F・不二雄のパラレル・スペース」が放送された。正直「あいつのタイムマシン」以外はどうでもいい出来で、特に「値ぶみカメラ」は酷かった。
あの監督は「誰もやってない斬新なこと」と「絶対やっちゃいけないことだから誰もやってなかったこと」の区別がついてないようだ。
漫画をカット割りも含めてすべて実写化するなんて誰でも思いつきそうなことだけど、そういう作品が今までなかったのは何でなのか、本気で考えたのだろうか。しかも放送時間に全然尺が足りず、インタビューで穴埋めするとはいったいどういうことなんだ。

そんなことは、ま、どうでもいい。ひとつだけこのドラマの取り柄を探すなら、長澤まさみの歌を流したことである。

個人的に長澤まさみにたいして何の感情もない。どっちかというと嫌いなタイプですらあるが、演技力の面で叩かれているのは気の毒だな、と思う。
「値ぶみカメラ」はああいう演出だから論外だとしても、実はそう下手でもない。(無論絶賛するほど巧くもないが)
何というか、この人は典型的な下手口調なのだ。もちろん舌っ足らずなことも大いに関係している。あの声のせいでどうしても下手っぽい感じがでてしまう。
反対に上手口調の人もいる。アリtoキリギリスの石井某は声がいいので巧いっぽいが、実は演技力はたいしたことはない。
一般認識の「演技が巧いか酷いか」なんて、たいてい上手口調か下手口調かで決まってる。でもそれは、演技力とは大して関係ないのである。

さて下手口調の代表選手のような長澤まさみだが、「値ぶみカメラ」の歌がよかったのは、地声で歌ってたからだ。
長澤まさみがCDを出しているか調べる気もないが、仮に出してたとしても、この人は女優にカテゴライズされる人であり、断じて歌手ではない。
女優が歌う、とするなら歌声は極力地声に近い方がいいのである。たとえばミュージカルを演じる時など、歌声と地声が近ければ近いほど自然に見られる。

昭和初年期、のちに「東京ブギウギ」などのヒットを飛ばした笠置シズ子が、名伯楽となった服部良一と出会った時、まずいわれたのが「地声で歌え」だったそうだ。
地声で歌うことは声帯を痛めにくいし、何より感情を込めやすい。実際笠置シズ子は、限りなく地声に近い声で歌うことにより仕事の幅を増やしたし、「買物ブギ」のようなセリフとも歌唱ともつかぬ摩訶不思議な歌詞を、聴いている人が違和感なく歌えたのである。
声の善し悪しは、まあこれは、もうどうしようもないわけで(笠置シズ子だってけして誉められた声質ではない)、問題はどれだけ地声に近い部分でセリフをいったり歌ったりできるかが重要じゃないか。

長澤まさみにはそういう開き直りは感じる。下手口調であろうが、こういう声なんだからそれを活かさない手はない、ある種のしたたかさといえばいいか、「値ぶみカメラ」のラストの歌からそういうのを猛烈に感じた。
しかし年齢を重ねて、かわいい役ができなくなった時にどうするか。もしそこでも開き直ることができれば本物だと思う。
ただ水森亜土みたいになる可能性もあるわけで、うまくいくかどうか自分は知らない。