2009年3月30日月曜日

若槻

ドラマなんかを見ているとプロデューサー連の頭が硬直化してるんじゃないかと考えてしまって夜も眠れない。

先日久しぶりに若槻千夏がテレビにでているのを見た。
もう最近はバラエティそのものを見なくなっており、たまたまテレビをつけたらでていたのだが、そういえば一時休養とかしてたんじゃなかったっけと思い出した。
自分は昔から若槻千夏という人を買っており、空気を読みながらも強引に押し通すところは押し通す、タレントとしての力量を持ってる人だなと見ていた。
もっとも認めているのはそういう部分だけで、いわゆるグラビアアイドルとしての若槻千夏には何の興味もない。興味がないどころか、むしろ好ましくない顔立ちである。
じゃあ目の前に若槻千夏がいても何の関心もないのかというとちょっと違う。何というか、この人、テレビ越しにも伝わってくるぐらい、独特の哀愁を感じるのだ。特に休養宣言か何かして、先日テレビで見た時の方が以前より哀愁が増しているような気がした。
見ていた番組 ーはっきりいえばぷっすまなのだがー の中でも占い師におおざっぱな考え方をする人と指摘されていたが、自分もおそらくそういう人なんじゃないかと睨んでいる。
しかし一方でやたらと繊細な部分も見え、かなり微妙なバランスの上に成り立ってる人のような気がする。

ものすごくフシギなのだが、何故こういう味をバラエティの中だけで閉じこめておくのだろう。もし自分がプロデューサーなら絶対にドラマに使ってみたくなる。
それは演技力の問題というかもしれないが、正直演技力なんかほとんど関係ない。周りに達者な人を配して、下手が目立たない、というか下手だからこそ個性が際だつような役を割り振れば、今の日本にはあまりいないユニークな女優になるんじゃないか。
とにかくこれだけ哀愁を感じる、しかも変なストイックさもない、繊細で大胆な個性を持った人はそうはいないのだから活かさない手はないと思う。

実際にそうなるかはプロデューサーの感覚次第だ。何だか昨今のドラマは「キャスティングを見ただけで見たくなくなる」作品が多いのだ。もうある種の意外性のあるキャスティングができなくなってる。
もちろん若槻千夏本人がそういう方向性を望んでいるかという問題もあるが、どれだけ成功するかは知らないまでも、まだ女優の方が可能性が広いような気がする。