2009年7月2日木曜日

世界のイチロー

といっても、毎日同じカレーを食ってる、あのイチロー・スズキの話ではないのだが、勘違いされたらどうしようと思うと夜も眠れない。

こないだ友人と「小倉一郎も、世界の(小倉)イチローというとイメージが変わる」という話で大いに笑った。
小倉一郎のことはこのブログでも何度か名前がでている。
細身を超えたカボソい体型で、役者としては達者なのだが、主役を張れないタイプで、だけれども独特の存在感がある、希有な存在である。
話を進めるうちに何となく「小倉一郎はひとつの目標じゃないか」という話題になった。もちろん始めは冗談だったが、話せば話すほど、冗談ではなくなっていった。
急に話は変わるが、ま、大抵の人間は、死ぬまではオーバーにしても、相当長い期間働かないと生きていけないわけだ。
たとえば芸能界に属していた場合などは、目標を立てやすい。「主演映画を撮るぞ」とか。しかしもっと地味な仕事の場合、なかなか具体的な目標を立てづらいものだ。
しかしだ、どんな業界であろうと職種であろうと、ひとつだけ「こうなればこの仕事をやってきてよかった」と思えるものがあると思う。
それは「これはキミ以外誰もできないことだ」といわれることである。
料理人ならその人しか出せない味を作り出す。サラリーマンならその人しかこなせない案件の処理ができる、などなど。
そう考えると、小倉一郎はまさにそういう存在だ。

今もってなお、これは小倉一郎しかできない役、というのがある、というのはすごいことではないか。
たしかに地味だ。が、小倉一郎しかできない役がある限り仕事がなくなることはなく、頼りにもされる。
これこそ仕事をするものにとっては究極の目標のはずだ。
もしかしたら、気づかなかっただけで、小倉一郎という人は飛び抜けた存在なのかもしれない。それを数十年に渡って維持している人なんて、少なくとも役者でそういう人を他に知らない。