2009年7月20日月曜日

夢のない話

こんなタイトルにしてみたわけだが、現実的なことを記していくようなエントリじゃないし、そう思われたら夜も・・・まあ別にいいや。

さいきんCMなんかでちょくちょく濱田マリをみる。いや、ここ数年、出ている頻度はたいして変わらないのかもしれないが、自分のタイミングの問題でやたら目にする機会が多い。
彼女がメジャーデビューしたバンド、モダンチョキチョキーズのヴォーカルをやってた頃から何となく注目していて、これはふた皮くらいめくればいい脇役タイプのタレントになるかもしれないと思っていた。
さあ中途半端な、よくわからない言い回しをしてしまった。しかもふたつも。
まずひとつ目の「ふた皮くらいめくれば」というところだが、初期の彼女は、何というか濃すぎた。しかも悪い意味で。これじゃ一般受けは難しいんじゃないかと感じていた。
ふたつ目の「いい脇役タイプのタレントになるかもしれない」の部分、これが今回の主題である。
もう一度繰り返す。彼女はモダンチョキチョキーズというバンドのヴォーカルとして世に出た。このバンドはある意味いい加減なバンドで、濱田マリ以外のメンバーは実体がよくわからなかった。つまり彼女はバンドの顔であったのである。
が、どうにもそういう役回りに違和感があった。
彼女の内面はどうか知らないが、自分の側から見ると、なんだか全然夢のないタイプに見えたのだ。
たとえばである。実生活で彼女は二回結婚をしているが、結婚にたいして夢を抱えているタイプには見えない。どうも超現実的な結婚観を持っているような気がしてしかたがない。
そういう人は芯には向かないのが普通だ。だから脇役に向いている、と思ったのです。

さてもうひとり、というか、ひと組、似たようなタイプで、ほぼデビュー時期も一緒なのがスチャダラパーである。
ずっと彼らは「ブレイク寸前」みたいにいわれてたし、本人たちもそのことをギャグにしていた。
さすがにもうそんな時期はすぎたが、ブレイクしないのは濱田マリ同様、夢がないからである。
彼らのリリック(詩)は徹底的に現実的であり、夢を売る側ではなく夢を買う側にいる。ブレイク寸前までいってもブレイクまでいかないのはそのためである。
何だか悪口のようだがそうじゃない。おそらく濱田マリもスチャダラも、ある種の確信犯ではないかと思うからだ。
個人的な話だが、モダンチョキチョキーズもスチャダラもなぜか関係者に知人がおり、ごく初期から知っていて、感情移入もしているのだが、彼らはどうも意図的に一般受けを避けているようにも思う。

一般受けを避けるには、夢を売らないのが一番だ。
何故一般の人は高いお金を出してライブに行ったりCDを買ったりするのか、それらにお金を払うのは代償行為であり、実体は夢を買っているのだ。

名前からして一番わかりやすいのは、そう、ドリカムである。
ドリカムの初期、とまではいわないが、「LOVELOVELOVE」の頃までは完全に夢を売るためのバンドであった。
よく「昔のドリカムはよかった」なんていう人がいるが、それは昔は夢を売っていたからであり、途中でなぜかそれをやめてしまったからだ。
自分からすれば、夢を売るのを止めたのにDREAMS COME TRUEって名前もねえだろ、とは思うのだが、まあ完全に止めてしまったわけではないが、それでももう今のドリカムの「夢売り曲」は当時のセルフカバーに近いものばかりで、思惑通りいってるとは言い難い。

少し話はズレるが、自分が電気グルーヴを買っているのは、彼らもまた意図的に夢を売ってないわけだが、夢を売ろうと思えば売れるんだ、できないんじゃなくてやらないだけなんだ、と証明してみせたからである。
そして夢を売るための曲のサビが「夢でキスキス」なんだから、完全に「わざと」だろう。まあ知らんというか想像だけど。