2007年6月20日水曜日

変人はつらいよ・怒声篇



今考えても、福岡での生活は

ツイていたのかツイていなかったのか、さっぱりわからない。

神戸出身の私が、福岡に引っ越したのは29歳の時だった。

最初に勤めたのは、久留米にある某出版社。

ここでの話はまたおいおい書くが

まぁいろいろ、悪い意味で、貴重な体験をさせてもらった。

貴重な体験はその後、市内へ引っ越してからの

おなじみの、超いい加減なスポーツ写真業者もさることながら

そして前回登場した、撮影業者(NG社)も

「引けをとらない」、「負けず劣らず」、「五十歩百歩」

いくらでも形容詞がでてくるぐらい、おかしな会社だった。

そして、同じように貴重な体験をさせてもらうことになる。

NG社は福岡には支社がなく、支社がないのに

福岡での仕事を受ける、というのは

この業界でよくあることかどうか、さだかではないのだが

とにかく月に一回

東京本社にいる社長と、大阪支社にいる社員ひとりが

わざわざ来福し、ミーティングなるものが行われた。

このミーティング、どっかの会議室を借りて、ではなく

わざわざスタジオを借りて行われていた。

撮影業者なのだから、仮に撮影をしなくても

一応スタジオでやったんじゃないの?と思われるかもしれないが

撮影スタジオなら、そりゃ私だって納得する。

私が奇異に感じたのは、そこが

音楽スタジオ

だったからだ。

無駄にドラムやPAの機材が並ぶ中

音楽とは一切関係のないミーティングが行われる。

実際に現場に入って、レクチャーを受けていた時は

さほど感じられなかったが、ミーティングを顔を出してからは

「これは普通じゃない」

霊感というか、ヤマ感というか、第六感というか

私の中で危険音(音楽 山下毅雄)が鳴り響いた。

それでも、同じ幼稚園に通っていたEの存在があったことで

私はだいぶ救われた。

「あれっておかしいですよね」

と言い合うことで、なんとなく不安は解消されたような

そんな気分になっていた。

ところがNG社から一通の封書が送られてきたことで

悪い予感の的中を認識させられることになってしまう。

詳しくは書かないが

私やEといった、契約カメラマン、契約ビデオカメラマンにとって

非常に納得し難いことが、書類に書いてあった。

さっそくEに相談すると

同じく書類を受け取っていたEも憤慨していた。

電話ではラチがあかない。ならば

月に一回のミーティングで、社長にそのことを伝えるしかない。

その日が来た。

社長の説明は、実にのらりくらりとしたもので

まるで「駅前旅館の鉄筋版」を標榜するホテルチェーンの

某社長も真っ青なぐらい、おかしなものだった。

ついにEが怒り出した。

社長はとたんに青ざめ、取りなしはじめたが

私はEの顔を見てわかった。

「あ、演技している」と。

もちろん怒っているのは本当だ。

しかし怒声をあげるのは、あきらかに演技だ。

いきなり送りつけられた書類。

電話のわけのわからない応対。

社長のトンデモ対応。

これらのおかしな状況を打破するには

あの場でEは怒った「演技」をするしかなかったのだ。

その場には、社長と社員以外にも

数人の契約カメラマンがいた。

彼らも納得していなかったはずなのに

なぜかその場の状況に飲み込まれそうになっていた。

でも後々苦しむのは彼らなのだ。

少々大袈裟だが、Eは怒声をあげることで

彼らを、そして自分自身を、救いたかったのだと思う。

Eは怒った演技をして、音楽スタジオを飛び出した。

私は・・・、私にできることといえば・・・

Eひとりでは、おかしなヤツだ、で終わってしまう可能性もある。

でもふたりなら、他の契約カメラマンにも

「あれ、やっぱりおかしいんじゃないか」と

思ってもらえるはずだ。

そう確信した私は、Eの行動を「かぶせる」ことにした。

Eと同じように怒声をあげ、その場を立ち去った。

おそらく周りはEと同じく、本気で激怒しているように

見えたであろう。

しかし、その激怒が演技だったのは、いうまでもない。

次回へ続く。