2009年6月6日土曜日

相撲取りの歌

このブログはまさに「そんな男のひとり言」だが、どういう意図でこんなことを書いてるか理解されないだろうと思うと夜も眠れない。

ジェネレーションギャップを感じる、なんていうと自分もずいぶん年を取ったなと思うわけだが、その大半はテレビに関係していることなんじゃないだろうか。
たとえばである。今の若い人に「相撲取りって歌がうまいと思う?」と問えば、こういう答えが返ってくるに違いない。
「さあ、どうなんだろ」
「人によるんじゃない?」
無論これらの答えが間違っているといいたいのではない。ただ齢40の自分より上の世代の人には、相撲取り=歌が巧い、という公式ができあがっている。
いつごろまでだろうか。大晦日の夕方には決まって「プロ野球VS大相撲歌合戦」という番組をやっていた。タイトルは間違っているかもしれないが、プロ野球選手と相撲取りが交互に歌い自慢のノドを競い合う、おおむねそんな内容だった。
もちろんプロ野球選手にも巧い人はいた。江本孟紀や小林繁など数枚のレコードをリリースしているし、「巨人→阪急→ロッテ→敏いとうとハッピー&ブルー」という、とんでもない経歴を持つ藤城和明なんて人もいる。
が、全体的にレベルが高かったのは相撲取りの方である。プロ野球選手がまさに「人による」といったばらつきがあったのにたいし、相撲取りは軒並みみな巧い。
たぶん科学的な根拠は何もないだろうと思う。どんな体型であろうが、リズム感や音感に大きな影響を及ぼすとは思えない。
だから「相撲取りは全員歌が巧い」といい切る自信がない。先の番組に出ていた人たちだって、やはりそれなりに選抜されているだろうし、中には酷い歌唱力の人だっていたはずだ。

が、そんなことは関係ないのである。誰がなんといおうと相撲取りは歌が巧い。これは脳裏に刻みつけられていることなので変えようがないわけなのである。
ここにジェネレーションギャップが生まれる。だってそうでしょ。こっちは根拠が薄いことをまったく疑ってないわけなんだから。そりゃギャップも生まれるってものだ。

たしかに頑ななまでに自分より上の世代は相撲取りは歌が巧いと信じ切っている。(そう言い切ってしまおう、あえて)
しかしそれは先の番組をやってた頃までの相撲取りなわけで・・・今の朝青龍や白鵬が歌が巧いと思うか、と聞かれれば・・・もう、こう答えるしかない。

そんなん知らんわからん