2009年6月12日金曜日

予告編

一度ブログの予告編なんてのをやってみたいが、そんなものが次への「引き」になるわけないよな、とか思うと夜も眠れない。

テレビのスポットCMなんかで映画の予告編を見ることが多い。
さすがに「おすぎです!」は消滅したものの、試写会かなんかから出てきた人をとっつかまえて「泣けました」「すっごい迫力で興奮しました」なんてのはいまだにやってる。(たぶんガチじゃないんだろうけど)
元々観たかった映画ならともかく、こんなCMで興味のなかった映画に興味を持つことなんてあるのだろうか。
これは酷すぎる例としても、ま、まともといっていいんですか、一応映画の内容に則したCMもやってるし、さすがに映画館に行って上映前にかかるやつはもう少しちゃんと「予告編」してるのだが、どれもこれも観たいと思えるようなものがないのは困ったものだ。

自分は外国映画の事情に疎いので邦画に限って書く。
日本映画の黄金時代、黄金時代じゃなくていいのだが、よほどの大作以外2本立て上映が当たり前だった量産体制時代、予告編の制作は助監督の仕事だった。
助監督から監督への昇格は並大抵のことではなかったらしく、会社から企画モノを押しつけられるだけの監督にすらなかなかなれなかった。
ここを乗り切るためにはアピールが必要だった。
その昔、まだデビュー前の脚本家の習作の場として同人誌がつくられていた。そこに助監督連も参加していたのは「脚本も書けることをアピールする」ためだからだ。
助監督から監督へあがるためには脚本が書けることは重要視されていたようで、もうひとつのアピールが予告編であった。
たいてい予告編は助監督の仕事で、面白い予告編をこしらえることができれば監督への道が開ける。
だからもう、ヒットさせたいとかそんなんじゃなく、何とか監督になりたい、そんな執念がつまったような予告編がいくつも生まれた。
どうやったら面白い予告編をつくれるか。もちろんオチを明かすわけにはいかないので、使える映像は限られている。
しかし本編で没になった映像を使ったり、予告編のためだけに新規撮影までする助監督もいたほどだ。
もちろん当時の、すべての予告編が面白いとはいえない。しかしここまで読んでもらえれば、今よりずっと面白い予告編がつくられる土壌があったことはおわかりいただけるだろう。

そもそも予告編は、下手したら本編よりも面白いくらいでないといけないのだ。本編を観にくる人ははじめから「それ」目的できてるが、予告編は全然興味がない人に足を運ばさなければならない。
ところが昨今の予告編はどうだ。映画の宣伝になってるかどうかはさておき、とりあえず「面白い予告編」をつくろうという気すらないのではないか。
それを考えると、さいきんちょくちょく名前がでてくる「水曜どうでしょう」の予告編などは実によくできている。
本編未使用の映像を使ったり、ミスリードを誘うこともしばしばある。というかある程度のミスリードを盛り込むのは、これは予告編の基本だったりするのだ。
自分は「ポニョ」は観てないが、あれなんかも予告編がうまくいった方だ。予告編だけでは内容はおろか雰囲気すら全然わからないのだが、あの歌だけを猛烈にプッシュすることによって観に行きたいという気にさせる。(自分はならなかったけどね)

いわゆるフックなんですな、予告編というものは。心にひっかかる部分がないとダメなのだ。でもそれが「泣けました」なんていうわけわからん感想聞かされても、いや最初はそれなりに効果があったのだろうが、パターン化された今ではまったく心にひっかからないし、効果も皆無ではないか。

ちゃんと観ると今の邦画にも面白いものはある。しかし予告編だけは壊滅的だ。そこだけはちっとも進化してないどころかむしろ退化している。
「映画をヒットさせたい?じゃ内容も大事だけどまずは予告編だ!」なんてプロデューサーが出てこないものか。そんな人材がいるのか知らんけどね。