2010年9月2日木曜日

漫唱とンにゃ!と俳優でも地方タレントでもない人

藪似です。前回の続きです。
「ありがとう」第三部はミュージカル的シーンを取り入れたらしいのですが、まあそうたいしたことはありません。
基本的に歌うシーンといってもアカペラだしね。
しかしエンディングに、毎回ではないのですが、「ありがとうの唄」の、今でいうところのPVですね、が入っているのがいいんですよ。
さて「ありがとうの唄」ですが、これは本当に名曲です。演歌ではなく歌謡曲。もういかにも「1970年代前半」といったアレンジがいいのですが、それにもましていいのが水前寺清子の歌唱です。
水前寺清子といえばどうしても「ンにゃ!」を連想する方が多いと思いますが、この曲に関してはそういうアクの強い歌い方は極力抑えています。
しかし軽く歌った感じかといえばそうではなく、実に伸びやかな歌い方で、ところどころ水前寺清子らしいアクセントを入れてある。
ま、この曲がどんなによくても、実際ちょっと前までアタシのヘビーローテーションだったんだけど、水前寺清子の他の曲を聴こうとは思わないんだけどね。

さて微妙に話はズレます。
「漫唱」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ググってみても中国語っぽいサイトがでてくるだけですし、実際アタシも正確な意味は知りません。
掛け合い漫唱、みたいに使われる場合が多いので、何となく意味がわかると思いますが、いわば「漫才の歌唱版」といえばいいのかもしれません。
ただアタシは漫唱という言葉を別の意味で捉えています。
掛け合いでない漫唱→コメディアン歌唱、という風に。
今は芸人やコメディアンがテレビで歌う時は妙にマジメにというか、自分の歌唱力のアピールの場になっているのですが、コメディアン歌唱はそうじゃなくて
非常に説明が難しいのですが、軽く、フザけすぎないで、音程はしっかりとってあって、地声で、どこかユーモラスに歌わなければならない。
もし他人の曲を歌うなら、ほんの少しモノマネを入れる(けして完全にモノマネになってはならない)というのも入れていいと思います。

かつてコメディアンが舞台の上で歌う時、そしてレコードを出す場合は、ほぼこの基準に準じていました。エノケン然り、植木等然り。
でもさすがに伊東四朗以降の人でこういうことが、つまりコメディアン歌唱=漫唱ができる人がいるとは思いませんでした。
ダウンタウン浜田の歌い方も、あれは漫唱じゃないんですよ、アタシ的には。近いものはあるんだけど。
さてさて、ここらで前の話とリンクします。
YouTubeで「ありがとう」について検索していた時、とんでもないものを見つけました。
それは大泉洋が「ありがとうの唄」を歌っている動画で、これを見た時はまさしく「漫唱」だと思いましたよ。
大泉洋はメチャクチャ歌がうまいわけじゃないんだけど、ゴマカシがうまいというか、ちゃんと聴かせるテクニックを持っているとは思っていたのですが、まさか「漫唱」までできるとは思わなかった。
この人はとにかくモノマネがうまいのですが、モノマネがうまいというのは耳がいいわけで、植木等や小林旭が好きらしいので、漫唱的な歌唱法も「耳でいただいちゃった」んでしょうね。
漫唱ができる人を、俳優とか地方タレントというのは違う。この人こそまさしく「コメディアン」だと思うのですが、その話は次回に。