2009年12月31日木曜日
今年も終わり
自分は今年で41歳、数えで42なわけだから、いわゆる本厄の年であった。
まったく、厄年というのはこんな酷いものなのかと実感せずにはいられないくらい、の一年になってしまった。
悪いことが次々と、という感じでもない。まあ振り返れば今年くらいの悪いことは毎年起こってる気がするし。
しかし見事なくらいに良いことが何もなかった。間違いなく、今までの人生で良いことが一番なかった年になるんだろう。
悪いことも毎年レベル、と書いたが、やはり酷かったと思う。
まるで自分の厄年とリンクするように、とんでもない不況になったのも大きく響いた。
景気がよければ、ま、それなりに何とかなるのだが。
ずっと自分は「うっちゃれる人間」だと思っていた。
もうギリギリまでは苦しめられるが、最後の最後でうっちゃって、何とか形がつくれる、そういう悪運を持ってると信じていた。
が、今年はそれが通用しなくなってた。
今までうっちゃって勝ってたのが、同体か、もしくは僅差で負けるようになってしまった。
もちろんそれは今年限りの話、来年からはうっちゃりが復活するものと信じているのだが。
話は変わる。
さいきん、昔やってたブログを改めて読み直してみた。時期にすると2003~2005年頃に書いたものだ。
読み直す前は、前のブログはかなりしつこくクドクドと書いてたなと、思いこんでいたのだが、意外とそうでもなかった。
ここよりずっと長文の時が多いし、数回に分けて書いてる場合も結構あるのだが、文章そのものは非常にあっさりしている。
というか、クドさでいえば、どちらかといえばここで書いてる方がクドい。統一したテーマがないのも関わらず、だ。(前のブログはカテゴリ毎に一応テーマがあった)
このブログをはじめるにあたって、前のブログがクドかったから、今回はものすごくあっさりしたブログにしよう、と思っていた。
最初の方は「あっさり」を心掛けてる様子が見えるが、書いていくほどにクドくなってる。
これは年のせいなのかね。まあ本厄ということで、いいことがなかったせいで、ついはけ口代わりにクドい文章を書き連ねたのかもしれないけど。
というわけで今年は終わり。このブログもめでたく一周年です。来年もよろしければ引き続きご愛読ください。
2009年12月30日水曜日
Twiiter
え?Twitterって何?って人は検索してほしい。それがわかるならTwitterなんか始めちゃいない。
ではなぜ始めたか、理由は簡単である。
「何がおもしろいのか、さっぱりわからない」からだ。
何がおもしろいのかわからないからやってみる、これは面白いとわかっているものより楽しみ方が深い。というか、感覚的にはジャケ買いにちょっと似ている。
てな説もあるわけだけど、面白くなさそうなものを始めるというのは、やっぱり気が乗らないものだ。
理屈で考えているうちでは、本当におもしろさというか、何のために使うのかがさっぱり見えてこない。
特定の人に何かいいたいのならメールでいい。
不特定多数の人に何かいいたいのならブログで十分じゃないか。
「つぶやく」といっても要するに短いブログと何ら変わらない。
フォローという発想だってマイミクと何が違うのか。
そもそも特定の人に公開することや携帯電話から投稿することだって、今のブログサービスで十分可能だ。
短文しかダメってのも何かね。そうなるとちょっと長いurlアドレスなんかを載せられない。
これはurlを短縮してくれるサービスがあるんだけど、法則性がわからないからいわゆるフィッシングサイトみたいなのにも引っかかりやすい。
これだけ利点が見えないというか欠点ばかりが目に付くサービスにも関わらず、ユーザ数は爆発的に伸び、近所の本屋でもTwitterの本を集めたコーナーなんかができてたりする。
さすがにこれは何かあるんじゃないか、これは実際に始めてみなければ到底わからないんじゃないかと思って始めたわけである。
結論をいうと・・・やっぱりわからんわ。
もしリアルな友達が軒並みTwitterをはじめてくれたら、まあ面白いかもしれない。しかし自分の周りでは誰もTwitterなんかやってない。
しかもそれだって「他人のTwitterを見る」ことが面白そうなだけで、自分の行動を逐一報告したいなどとはまるで思わない。もし何かいいたいことがあるなら、このブログに書くかメールするし。
・・・・とここまで書いてきたのは事実だが、実はもうひとつTwitterを始めた理由がある。
それはAPIが公開されていたからだ。
え?APIって何?って人は検索してほしい。それがわかるなら(ry
要するに外部からTwitterのデータを引っ張ってこれるんですな。世にあるTwitterクライアントソフトもおそらくこれを使っている。(え?クライアントソフトって(ry)
極簡単なスクリプトを書くのが趣味なので、これでちょっくら遊べるんじゃないか、そういう理由というか野望もあったわけだ。
ところがTwitterのAPIってややこしいね。てかだいたいTwitterの面白さがわからない人間がどういうものを作ったら面白いのか便利なのかまったくわからない。
というわけでこの野望もスマートフォンから数秒でつぶやける簡単なスクリプトを作っただけで終わってしまった。しかもこれはメール投稿でTwitterにつぶやけるサービスを使っているので、APIとは全然関係ない。
こんなかんじでぼくのはつこいもしっぱいにおわってしまいました
初恋じゃねえや、Twitterだ。
ま、終わらせるにはちょっと悔しいので、とりあえずもう少し続けてみる。
が・・・いつまで続くのかねえ。
2009年12月24日木曜日
鍼灸院に行く
暑いと大丈夫で、寒いと痛い、というのは、まあふつうのことなのだが、今年は11月の終わりに体調を崩したのをきっかけに特に酷くなってしまった。
腰というか背中だ。本当に背中に分厚い鉄板を一枚入れているみたいな状態で、そのわりに姿勢が悪いのはなんともはや。
正直寝付きも悪い。横になると多少マシになるのだが、寝ころぶ状態が長く続くとやっぱり痛くなる。
いくらなんでも酷すぎるので、生まれてはじめて鍼灸院なるものに行ってきた。
元々病院は嫌いなのだが、何度かお世話になってる病院が鍼灸院も兼ねており、ふつうに診察に行くよりはいいだろうと気楽に構えていたのだが、よく考えると、自分にとっては想像しただけで怖いことなのに気づいた。
そもそも自分は身体に何かを刺したりするのが大嫌いなのだ。
もうピアスを空けるなんて信じられない。それも耳ならともかく舌になんて、考えただけで嫌な汗がでてくる。
本当のことをいえば、穴を空けるなんて大仰なことじゃなくても、腕時計すらしたくない。身体に何もつけたくないのだ。
今一番恐れていることは、老眼鏡をかけなければならなくなることだ。
早かれ遅かれあと数年で老眼鏡のお世話になることは間違いない。でも短時間サングラスをしてるだけでも嫌になるのに、日常的に眼鏡をかけなければならなくなるなんて、もう、本当に、たまらんわ。
話は大幅に逸れてしまったが、とにかく鍼灸院に行ってきた。
頭の中では中国鍼みたいなのを描いていたのだが、当然ながらそういうのではなく、何か短い鍼をプスプス刺すだけ、だったように思う。
思う、というのは、こっちはうつ伏せ状態なので、詳しく何をされているのかわからない。その後鍼の部分に何かを取り付けて、電気療法みたいなのがはじまった。
一部分だけやけに痛いところがあったが、まあ無難に終わった。
その後医師が「シャケツもしておきましょう」というので、それもチャレンジした。
シャケツとは瀉血と書く。家に帰って調べた。瀉血=コリの酷いところの血を抜いて、血流をよくするのだ。
これが痛かった。血を抜く程度だから、鍼よりも軽く注射針でも刺すのかなと思っていたのだが、バチン!バチン!とまるで何かを身体に埋め込むがごとくセットしていくのだ。
しかしだ、これが恐ろしいほど効いた。医師が「これは相当酷いね」といわれるほど、あれだけ痛かった背中の痛みがきれいに消えた。
痛みがとれたことはもちろん、頭が異様に軽くなったことに驚いた。背中から首が痛みから、頭の重みを感じていたのだろう。
結局姿勢が悪いのと血行が悪いのが問題だったようだ。
たしかに冬は手足が異様に冷たかった。が、今は手足の冷えもかなり改善されている。
悪い血を抜く、というのはすごいことだった。話によれば、意外と献血することもいいようだ。別に献血で悪い血を抜くという話ではないが、血液を入れ替えるという意味はあるようなのだ。
とにかく貴重な体験だった。たぶん近日中にまた行くことになるだろう。
2009年12月18日金曜日
やればできる、のか
「あんたはやればできるんだから」
自慢じゃないが、まったく勉強はできなかった。いつもクラスの真ん中よりちょっと下をうろうろしていた。
妹は勉強が趣味のような感じで、暇さえあれば机に向かっていた。
そんな姿を見ていたせいか、自分ではこれはもうしょうがない、と思っていた。どう考えても自分は妹のように勉強を楽しめない。
好きこそ物の上手なれ、というが、好きでもないものの能力を向上させるのは並大抵ではない。
それは努力が足りないといわれるかもしれないが、嫌いなものはそれが好きな人の3倍努力しないと身にならない。
そんなことんなを考えていくと、つまるところ「勉強は向いてない」となる。
しかし親や学校の先生、塾の講師はそんな風には考えない。
「君は頭はいいんだから、やればきっとできるようになる」
おそらく何千何万の人が同じようなことをいわれただろう。
けれどもこのいわば飴と鞭といえるこのセリフを信じた人はどれだけいるだろう。
余談だが、高校受験前に上記のセリフに騙されるつもりで、自分としてはかなり頑張って勉強した。結果、真ん中より少し下が真ん中より少し上になっただけだった。
そんな私事はどうでもいい。「やればできる」という精神は21世紀には少々無理があるのではないかといいたいのだ。
何も努力の尊さを否定するつもりはない。しかし大抵周りからみて「頑張ってる」状態の時は、本人には頑張ってる意識はなく、ただ無我夢中でやってる場合が多い。
「やればできる」と思ってやっているのではなく、ただ能力の向上が楽しいだけなのだ。
だいたい「やればできる」論は無理が多すぎる。今から短距離走のオリンピック選手になれるかといわれれば当然無理なわけだし、そこまで極端な話じゃなくても、都心の一等地にマンションを買うくらいのことでも「やればできる」のかといわれれば、難しいといわざるをえない。
いや、この論理が鬱病やストーカーの存在を増やしているといってもいい。
自分がいいたいのは「やってもできないことがある」ことを説く方がよほど大切なことではないかと思うのだ。
世の中にはどうやっても無理なことがある。向いてないことを努力するより向いていることに時間を使うべきだ、と。
そんなことは実社会で学んでいくものだ、という意見はごもっとも。しかしじゃあ親や学校はいった他に何を教えているというのだ。
いくら「やってもできないことがある」と説いたって、必ず反抗する時期がくるし、実際に不可能を可能にする天才はあわられる。そんなことをいわれたくらいで天才は潰れたりしない。
いくら努力したところで
「なりたい職業に就けるとは限らない」
「好きな異性は必ずしも振り向いてはくれない」
「自分の意見に必ずしも相手が納得するわけではない」
全部当たり前のことだが、どうも最近は当たり前でなくなってる気がするのだ。
「こんなに努力したのに何で報われないんだ」と怒る、もしくは極度に落胆する人がどうにも多い。
怒っても落胆してもしょうがないのだ。やり方を変えるかしょうがないとあきらめるか、どちらかしかないのだから。
どうも虚無的だな。まあいいか。
2009年12月10日木曜日
ミスター
今までずっと、過去の事例からしか考えられない人に閉口して、あえていわなかったが、彼こそまさしくミスターと呼ぶべき存在だったのだ。
彼の名は赤星憲広。阪神タイガース所属、背番号53。この度引退することになった、あの赤星こそ、ミスタータイガースだった。
ミスタータイガースといえば、阪神タイガースの歌の歌詞にある通り、歴戦の鉄腕強打の選手に与えられてきた称号である。
今までミスタータイガースと呼ばれてきた名選手と赤星は決定的にタイプが違う。
だからなのか、金本は幾度かミスタータイガースと呼んでいいんじゃないかという話題を耳にしたが、赤星こそ五代目ミスタータイガースに相応しいという声はまったく聞くことがなかった。
しかし自分の考えは違う。赤星こそミスタータイガースだとずっと思っていた。
理由は簡単だ。2000年代に入ってから、阪神はずっと赤星のチームだったからだ。
赤星のチームというのは赤星ありきのチーム、赤星がいなければ戦術がまったく成り立たない、そういう意味である。
長らくの暗黒時代を抜け出した阪神は2003年になってセントラル・リーグの優勝を飾ることになる。
FAで金本を獲得、またメジャー帰りの伊良部、そしてトレードで下柳を獲得したことも、もちろん大きかった。
しかし、もしあのメンバーの中に赤星がいなければどうなっていたか、ただの想像でしかないが、優勝までは届かなかったのではないか。
赤星が阪神に入ったことで、阪神の野球は大きく様変わりした。
走攻守、すべてにおいて阪神にとって赤星の存在は突出していた。
また過去にミスタータイガースと呼ばれた選手はけしてチームリーダーとしての資質は高くなかった。しかし赤星は違う。チームリーダーとしての資質も非常に高かった。
そしてこんなに負けん気の強い選手は、それまで阪神にはいなかった。ここが阪神を優勝に導いた最大のポイントだと思っている。
生え抜きであり、打撃成績も、もちろん盗塁も、そして守備も文句なしで、さらに名実とものチームリーダーであった赤星憲広。
いったい彼をミスタータイガースと呼ぶことに何の問題があるというのだろうか。
正直引退についてあれこれいうのは野暮であり、悪者探しをしても何もならない。
だからあれこれいうのは違うんじゃないかという気がするが、これだけはいわせてほしい。
誰ひとり認めなくても、自分の中では五代目ミスタータイガースは赤星憲広である、と。
2009年11月29日日曜日
どうでもいいこと
前にも書いたと思うけど、我ながら呆れるほど記憶力が弱い。
小学校低学年までで憶えているのは3、4シーン程度で、さすがに高学年になるともう少し増えるが、おそらく今まで生きてきた中で最も楽しかった時期といえる大学時代のことすら、かなりあやふやになってしまっている。
にも関わらず、こんなこと憶えていても、もうホントにどうしようもない、みたいなことは憶えている。
特にテレビ番組のワンシーンをかなり鮮明におぼえていたりするのはどういうわけだろう。
前に「鶴瓶・上岡パペポTV」のことを書いたが、その中でこういうシーンがあった。
上岡龍太郎が、どうも「お段」で名字がはじまる芸能人はよくない、だから自分の弟子である大空テント(という芸人がいるのだ関西に)にも「大空」を取って「テント」だけにしろといった、という話をしていた。
いぶかしく思ったのだろう。鶴瓶は必死に「お段」からはじまる大物芸能人を考え、導きだしたのが、鶴瓶とも交友の深い緒形拳だった。
しかしそこは上岡龍太郎である。驚くべき言葉で緒形拳を否定した。
「でも・・・緒形拳止まりでしょ」
この話をパペポ好きの友人にしたところ、このシーンは憶えてなかったものの、大受けして、以後この友人との会話で、芸能人に限らずスポーツ選手でも何でも大物をあげつらう時には「○○止まりでしょ」とまぜっかえすのが定番になってしまった。
しかしだ、この緒形拳止まりの話を記憶していたのは、自分がかなりパペポTVにハマりこんでいたからで、そこまで不思議はない。
ところが何故こんな番組の、こんなシーンを憶えているのだろうということもある。
例を2つほどあげる。
・昔「プロポーズ大作戦」という番組があった。同名のドラマもあったがもっと昔、やすし・きよしが司会をしていたバラエティ番組の方である。
この中でたしか素人の出演者が「好きなタイプは中森明菜」といったのだと思う。すると西川きよしが「セカンド・ラブの!」と確認した。
もちろんセカンド・ラブの中森明菜、でも間違いではないのだが、まだセカンド・ラブは発売してすぐだったはずで、一般的に中森明菜といえば「少女Aの中森明菜」だった。
きっと「なぜセカンド・ラブなんだ・・・」と思ったのだろう当時の自分は。
・もう何年もやってないが、大昔は「笑っていいとも」のテレホンショッキングの時、お決まりとして「友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう友達の輪!」というのをスタジオの観客と必ずやっていた。
三波春夫がゲストの時があった。その時自作の、例の言葉に得意の音頭調に節をつけ、それをわざわざラジカセ持参で聴かせたことがあった。
タモリはあきらかに困惑していたが、三波春夫は動じることなく、今後これを使ってほしいと悪びれずにいいきった・・・。
ま、このシーンも憶えているのだが、三波春夫作曲の友達の輪の唄を、いまだにソラで歌えてしまえるのだ。
何度かは「笑っていいとも」内で流したことがあったのかもしれないが、そもそもこの時期を含めて毎日笑っていいともを見るという習慣が自分にはない。
だから聴いたのはせいぜい二、三度しかないはずである。にも関わらず、たまに気を抜くと鼻歌で「せ〜かい〜にぃひ〜ろげよ〜ぉ、と〜もだ〜ちのわ、わ!」と唄ってたりするから始末に悪い。
どっちもまったくどうでもいい、将来的に何か役に立つようなことは一切ない。
中森明菜も当時も今もまったく興味もないし、世界に友達の輪を広げるなんて考えただけでもまっぴらだ。
にも関わらず憶えているというのは、もしかしたら何かものすごい暗示が秘められているのだろう、と無理矢理納得するしかないのである。
2009年11月15日日曜日
もうね
さすがにこれはヒドいとしかいいようがない。
勝手に応援する会やおばまガールズなど、地元では早くから「恥ずかしい」とか「かえってイメージダウンになる」といった声があがっていたようだが、少なくとも自分は、2ちゃんねる用語でいうなら「生暖かい目」で見ていた。
街起こしというのがどれほど大変なものかわかるし、知名度をあげようと思ってもきっかけも何もない。それは本当によくわかる。
だからこそ「生暖かい目」で見ていたのだが、それも大統領選までの話だ。
そもそもオバマと小浜、音がいっしょという程度のことから始まったわけで、大統領選で活動が終わっていたら「あくまでシャレでやっていた」というのがわかる。
しかしここまでやるとまるでシャレではすまない。
街をあげて、たとえ海外であるにせよ、特定の政党に肩入れするのはおかしい。というかこれは法的にぎりぎりの行為ではないのか。
何度もいうが、大統領選までならまだシャレで済む話だったのだ。それが変に注目されたため引き際を見失ってしまったのだろう。
知り合いに小浜出身の人がいるが、小浜出身ですというと、失笑にも似た笑みで「ああ、あのおばまガールズの・・・」といわれるといっていた。完全に見下されているわけだ。
こうなるといったい何のために「勝手に応援する会」だのおばまガールズだのをやってるんだという話になる。
たしかに知名度はあがったかもしれない。しかしその知名度はマイナスイメージの知名度のなっている。「引き際を知らない田舎モノ」という最悪のイメージ。
やってる人は地元貢献のつもりかもしれないが、関係ない小浜出身者にすれば、これほど迷惑なことはない。そんなことは考えないのだろうか。
はっきりいう。「生暖かい目」でなんか見てくれない。見下す対象にしかなっていない。それでも彼らはまだ活動を続けるというのだろうか。