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2012年1月8日日曜日

ハウフルスのこと(再録)

お馴染み手抜きデー、yabuniramiJAPANリターンズの日がやってまいりました。
今回はとあるテレビ番組制作会社にスポットをあてたエントリです。
では時計の針を2005年2月27日に巻き戻します。




さてみなさん、ハウフルスって知ってますか?テレビ番組の制作会社なんですが、ふつうの人はまず制作会社なんて意識しないでしょう。アタシだって何も制作会社で番組をみてるわけじゃない。でも好きな番組を並べると、とある共通点に気がついたのです。

たとえばアタシはここ10年以上見続けている唯一の番組が『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)なんですが、これの制作会社がハウフルス。またアタシが「この番組だったら自分で企画を出して出演してみたい」と思っている『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)もハウフルス制作。他にも『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)や『どっちの料理ショー』(よみうりテレビ)、『チューボーですよ!』(TBS)もここの制作です。

アタシがこの会社を最初に意識したのが『探検レストラン』(テレビ朝日)という番組で、山本益広を料理評論家として有名にしたことで知られますが、おそらくはじめて≪料理≫をエンターテイメントにした番組だと思います。
とにかく切り口が新しく、にもかかわらず司会に超大衆的な愛川欽也を起用したのも斬新でした。

この<斬新またはマニアックな企画>+<大衆的な司会者>というのがハウフルスの基本で、『どっちの料理ショー』の関口宏や『チューボーですよ!』の堺正章はもちろん、アタシの大好きな『出没!アド街ック天国』ではふたたび愛川欽也を起用しているのです。

ところで番組名が並んでいるのをみて、ひとつ気がつくことがあると思います。そう、どうにも料理系の番組が多いのです。しかし一度でも『どっちの料理ショー』や『チューボーですよ!』をみたことのある人ならおわかりになると思いますが、とにかく料理の撮り方が抜群にうまいのです。とにかくやたら旨そうにみえる。
これはふつうのカメラで料理を撮ってみるとよくわかるのですが、料理を旨そうに撮るというのは非常に難しいことなんです。ましてや動画になるとなおさらです。
アタシが広告代理店に勤めていた当時、やたらクライアントから「もっと『どっちの料理ショー』みたいに撮ってくれ」といわれたものですが、アタシはプロのカメラマンではないですし、そんなもん撮れるわけがありません。でもそれぐらい「おいしそうな料理の指針」になっているんじゃないかと。

まぁそんなことはどうでもいいです。

ここの武器は「料理の撮り方」だけではありません。もうひとつ、やたらBGMの使い方が巧い、というか、センスがいいのです。
これは『出没!アド街ック天国』なんかをみてもよくわかります。たんなるダジャレから映像の雰囲気に合うものまで様々ですが、その選曲が実に幅広い。番組の終わりにわざわざ「選曲の3曲」というミニコーナーまで設けて曲名とアーティストを明示しているくらいです(※現注:現在は終了)。60年代のR&Bから最新のナンバーまで使用しているんです。
とくに70年代のディスコサウンドには、スタッフの中にかなりのマニアがいるとみえるようで、アタシの知識じゃ到底噛み砕けません。

当然のようにアタシの好きな植木等の曲もちゃんと使われていて、「薬丸印の新名物」のコーナーでは、ずっと『馬鹿は死んでも直らない』が使われていますが、このことだけでもスタッフの音楽的知識のすごさがわかってもらえるんじゃないかと。

その音楽的知識とセンス、さらに徹底的なおふざけ精神がいかんなく発揮されているのが『タモリ倶楽部』の中の「空耳アワー」のコーナーなんですね。

たしか2000年の年末に「空耳アワー」の特番をやってたんですけど、これは死ぬほど笑いました。そん時アタシはこう思ったんです。
「このおもしろさを共有できない女性とは付き合いたくない!」
と。

このおもしろさはいったい何なんだろうと考えてみると、ハウフルスのセンスってジョーク好きのミュージシャンのセンスなんですね。いわゆる演芸系の笑いとは180度違う笑い。それこそエノケンからはじまって、三木鶏郎、クレージーキャッツに受け継がれた≪ジョークの延長としてのギャグ≫がある気がするんです。
だからタモリと相性がいいのは当然で、「仲間内のジョーク」を芸にしたところから出発したタモリは、まさにハウフルス制作の番組をやるために生まれてきたようなタレントだともいえます。

それは『タモリのボキャブラ天国』はもちろんだし、非常に短命で終わったものの『タモリのネタでナイトフィーバー!!』(フジテレビ)なんて、本物のジャズメンからジャズメンでない人まで≪ジャズメン風のジョーク、ホラ≫をひたすら披露する構成になってました。こんな生に近い素材がウケるはずもないのですが。

『ボキャブラ天国』でも「空耳アワー」でもいいのですが、最後のオチのために、かなりカチッとした映像をつくっているでしょ。あれって結構大変な作業ですよ。でもオチを最大限にまで活かすためには、あの映像は絶対必要なんです。
谷啓がつくったコントのひとつに「これは本当の話です」という語りからはじまり、その後延々日常のありがちな光景を映像でみせる。そしてふたたび谷啓が画面に現れて「これは本当の話です」なんてのがあったそうです。
実際アタシもこの谷啓作のコントをみたわけじゃないんだけど、これこそまさに≪ジョークの延長としてのギャグ≫ですよね。そしてこれは見事にハウフルスのセンスにつながるんです。

ただ音楽にくわしい制作会社ってだけじゃない。音楽が基本になったおふざけが本当にわかっているというか。そういうところがアタシを猛烈に引きつけるんでしょうね。




今回も2回分をまとめてます。
1回目の前フリはたまたま見た「ケロロ軍曹」についてなんですが、2回目はホリエモンについて書いています。
ちょうどニッポン放送を買収する云々の頃だったのですが、何だか妙におかしかったのでそこも再録します。




何かと話題のほりえもんVSフジテレビですが、こないだテレビをみてたらこんな場面に遭遇しました。
それはほりえもんが、ネットを有益に使えばラジオの世界が広がるかを説明している時でした。するとインタビュアーが「じゃあインターネットにつながってない人はどうするんですか!」と、まるで鬼の首をとったかのように莫迦な質問をしてました。
アタシはほりえもんに関しては、アンチでも擁護でもないけど、ネットをやってる人間をいまだにマイノリティと思っているような、あんな莫迦な記者を相手にしなきゃいけないほりえもんにつくづく同情します。
ラジオで「FAXでご意見を募集してます」なんていわれると「FAXを持ってない人はどうするんですか!」なんて抗議の電話でもかけろってのか、ホントに。
「じゃあラジオ受信機を持ってない人はラジオを聴けないんですか!」
「テレビを持ってなければテレビがみれないじゃないですか!」
「金のない人間は好きなものを食うのを我慢しろってことですか!」
「ムカつくヤツがいても無闇に殺しちゃダメっていうんですか!」
なんでもいけるな、この記者の理屈なら。




だからなんだって話ですが、今日はこの辺で。

2011年12月16日金曜日

ウソの美学(抜粋再録)

恒例・yabuniramiJAPANリターンズをば。
今回は初めて「ヤキウノウワゴト」からの再録になります。「ヤキウノウワゴト」は野球関係のことを書き記しておりまして、当然リアルタイムに読んでもらわないと意味のないエントリがほとんどなのですが、今回再録するエントリはあまり野球と関係ないこと、というか実際は関係あるのですが、わりと普遍的な部分だけを抜粋して再録します。
それでは時計の針を2004年7月10日に戻します。




アタシは自分でかなりの正直者だと思います。正直者といってもウソなどついたことがないというたぐいの正直者ではありません。でも自分にとってかなり不愉快な出来事に遭遇した時、もろにそれが顔にでてしまうのです。
顔にでるぐらいならまだいいのですが、腹に据えかねる場合には行動にでてしまうこともあるわけで、当然損をすることもかなり多い。だからなのか『正直に生きることは素晴らしい』なんてまったく思わないわけです。できればもっと、何事にも平然と生きていられるようにと常々理想を掲げておるのです。

たしかにアタシはそういう意味での正直者ですが、ウソをつくことはけして苦手ではないのです。すごく矛盾のあるような話ですが。『ここ一番』というか、ここはウソをつき通さなくてはならない場合には、徹底的にウソで押し通します。そして絶対見破られない自信もあります。

もちろんプライベートでも≪ウソを通す≫という行為をやってしまうのですが、やはり仕事絡みではかなり顕著にその回数が増えてしまうのです。

組織に属している限り、ウソで押し切らなきゃいけない時はゴマンとある。
たとえば自分が中間管理職だったとします。部下が自分より上司にあたる人の悪口をいっていたら、間違っても部下といっしょになってその上司の悪口をいってはならない。むしろなるべく上司のフォローをしなければならない。たとえ自分もその上司が大嫌いだったとしても。

なぜならそれが組織だからです。組織の一員になるというのは、果てしのない我慢の連続です。その組織をぶっ潰してもいいとまで思っていない限り、組織としてマイナスになるようなことはできないのです。
まぁアタシだって『組織なんてどうなってもいい』と思ったことなど一度や二度ではありません。しかし組織をぶっ壊すということは、その組織に関わる大半の人が不幸になる。『あの人やこの人も不幸になるかもしれない』と考え出したら、到底行動には移せませんでした。結局そうやってウソをつきつつ、自分の怒りを静めるしかないのです。

もしそれでも我慢ならない時はどうするのか。それは自分がその組織から離れるしかないのです。悲しいけど、アタシにはそうするぐらいしかできません。

アタシにもっと行動力と人望があったら、クーデターをおこしていたかもしれません。しかしもしクーデター(に準ずる行為)を起こすなら、最低でもこの2つの条件が必要だと思うのです。

1)まったく隙のない理論武装

2)結束力

仮に実権を握っている人間の行動に、なんの理論がなかったとしても、そんなことは関係ありません。≪実権を握る≫ということは≪たいした理論がなくても事を進めることができる≫ということに他ならないからです。
実権を握っている人がつくった≪流れ≫を変えるには、その流れを根本から否定できる完璧な理論武装が必要になるのは当然です。相手は実権を握るような人ですから、こっちの理屈のほころびを実にうまくついてくるはずです。もしこちらの理論に隙間があれば、いとも簡単に負けを認めざるを得ない状況になるのは明白です。だから何をいわれても完璧に理屈でかえせないといけないのです。

また相手の弱点を徹底的につくことも大切です。どんな強大な相手でも絶対弱点はあるはずです。裁判にもちこめるような言動があればそれを利用するのも手ですし、そういう人に限って意外と人情派だったりすることも多いのです。

それでもダメな場合は実力行使にでるしかないのですが、そうなると結束力がモノをいいます。『チャップリンの独裁者』じゃないですけど、ひとりの反逆は落伍者だが、大挙の反逆は革命になるのです。そしてその者たちの結束が本当に一枚岩なら絶対に勝つことができると思いますが、結束力があるのかないのかうやむやなまま実力行使にでた場合は、ほぼ惨憺たる結果にしかならないでしょう。

いずれにせよ、まず相手の立場にたって物事を考えることができるかどうかは重要です。何度もいいますが、個人(複数にせよ)が組織の実権者と戦うということは、キレイゴトを並べ立てていかなきゃしょうがないのです。ホントは自分のためです。自分の立場がなくなったり、損をしたりするのがイヤだから、そこまで強引な行動にでる。しかしそれでは≪理論武装≫もできなければ≪結束力≫も生まれない。

ウソかどうかなんてどうでもいいのですよ。そのためにはなんだってしなきゃいけない。自分が悪者になる覚悟も必要だし、相手に取り入るのもまったくかまわない。とにかく実権を取ることが目標なんだから。




本当はこれの倍くらいの長さなんですけどね。何しろ抜粋だから。
ではカットした部分に何が書いてあったのか。
多少でもプロ野球に興味がおありの方なら憶えておられるでしょうが、2004年の夏といえば、オリックス・近鉄の合併に端を発したリーグ再編問題の真っ只中でした。
アタシが「ヤキウノウワゴト」をまともに更新していたのは2003年の秋から2005年の秋まででして、2004年に起こったこの出来事にたいして、全エントリの半分近くを費やして書いています。それくらいアタシも世間も燃え上がっていたのです。

抜粋した以外、つまり後半部分に書かれていたのは、プロ野球機構側(主にナベツネ氏)と選手会側(主に当時選手会会長だった古田敦也)との「煮えきらないやりとり」についてです。
今回抜粋という形で再録したのは、事の本質が高岡蒼甫のツイートから端を発した一連の問題とよく似ているんじゃないかと思ったからなんですね。

一連の問題(あえてこう書きます)での問題提議はネットから始まりました。そして、とりあえず、といった形でデモに繋がったのですが、ここにネットの可能性と限界点が見えた気がするのです。
可能性は置いておくとして、限界点はよくいわれる「ネット民なんて実際何の力もない」とかそんなことじゃないんです。
ひとつは「手の内をすべて明かしながら」の行動になるということ。
もうひとつは、これこそ再録した話に繋がるのですが「結束することの難しさ」です。
結局人間が「目的が同じ」という理由だけで結束するには限界があり、数人ならともかく数万人規模になるとまず無理です。
となると強いリーダーシップを持った人が必要になるのですが、ネットの特性上生まれにくい。

アタシはリーグ再編問題当時、これは時代劇と同じ構図だ、と論じました。一連の問題も一緒で、相手が「型通りの悪役」なのだから、こちら側(つまりネット民側)は白塗りのヒーローが必要なんです。
リーグ再編問題は古田敦也が白塗りヒーローに「化けた」ので一応の決着を見ました。
今回の一連の問題は、リーグ再編問題に比べてスケールが大きすぎるのですが、それでも、いや、だからこそ、より無敵の白塗りヒーローが必要だと思うのです。

2011年12月10日土曜日

ダウンタウンのこと(再録)

今宵は手抜きのための、ではなく、次回のエントリへの前フリとしてyabuniramiJAPANリターンズをお送りします。
はっきりいいまして全部で5回分をまとめているので滅茶苦茶長いです。ご了承ください。
それでは時計の針を2005年1月11日に巻き戻します。




まだダウンタウンが大阪ローカルのタレントだった時代、これほど「可能性のカタマリ」だった芸人は、後にも先にもいなかったのではないかと思います。もし、こんな仮定が成立するのかあやしいですが、もしダウンタウンが全国的な大タレントになっていなければ、間違いなく語り継がれるであろう、伝説の芸人になっていた気がします。

ダウンタウンのすごさを語る上で、どうしても松本の発想力の話になってしまうのですが、あえてそれを封印します。そうしないと本質を見誤ると思うからです。
ではダウンタウンと、他の漫才コンビとの決定的な違いは何かといえば、アタシは「信じられないような器用さ」にあると思うのです。
よく「器用貧乏」なんていいますけど、ダウンタウンの場合は「器用富豪」といってもよく、何をやらしても非常に器用にこなし、そしてすべてにおいて華を持っていました。

ダウンタウンの出発点は漫才ですが、まずここで同期の漫才コンビを蹴散らしています。アタシはまだ「松本・浜田」と名乗っていた頃の漫才をテレビで見たことがありますが、なんだか気味の悪い漫才でした。というのもどうみても若輩にもかかわらず、やたらテンポが遅く、しかもまったくモロさがなかったからで、今の目線でいえば「完璧に完成された」漫才だったんですね。
のちに浜田が「当時からいとし・こいしに似てるといわれてた」といってましたが、若いくせに年寄りのような呼吸でやってたんだから、異質な存在にみえても当然っちゃあ当然なんですけどね。

もう少しわかりやすく説明します。

ダウンタウンがデビューする数年前、昭和55~56年頃に空前の漫才ブームというのがありました。
このブームの中心となったのが、関西ではザ・ぼんちと紳助・竜介、関東ではツービートということになると思いますが、当時の感覚からすれば、ブームを引っ張っていってたのは間違いなくB&Bでした。(やすきよは別格扱いだった)
ブームになる前から、先輩後輩問わず、他の漫才コンビがこぞって舞台袖でみていたというB&Bの漫才は革新的なもので、何が革新的かといえばそのスピードです。

おそらく今の若い人が当時のB&Bの漫才をみたらビックリするんじゃないでしょうか。とにかく速い。音楽でいえばゴアテクノぐらい速いのです。既存の漫才コンビがBPM70~100ぐらいの時に、ゆうに150をこえてるんだから、そりゃ目立って当然です。
正直にいうと、アタシはB&Bをあまり好きではありませんでした。でもこのスピード感は他の若手漫才コンビにも多大な影響をあたえとおぼしいのです。

というのも、さいきんB&Bが司会をしていた『笑ってる場合ですよ!』のビデオをみたんですが、もうみんな速いんですよ。そのビデオにはぼんちも紳竜もツービートもでてましたが、まるでB&Bに対抗するかのように、何をいっているのか聴き取るのが困難なぐらいテンポが速い。よく当時の観客はこれについていってたな、と関心すらしてしまいます。

とまあこんな時代です。さすがに若干の揺り戻しはあったものの、漫才ブーム以前に比べると、若手とよばれる人のスピードはかなり速くなっていたのはたしかです。

そんな時に、漫才ブーム以前はおろか、もっと前の時代なみのテンポで登場した、それこそ「いとし・こいしに似てる」とたとえられるダウンタウンの存在は古臭くもあり、異質でもあったのです。

スピードがあればね、多少の巧拙は目立たないんですよ。それが、B&Bがゴアテクノなら、レゲエのようなテンポのダウンタウンは、一切の拙さを感じさせなかった。まぁ気味が悪いのは当然ですね。

しかしここまでならたんに「時代を代表する、すぐれた漫才コンビ」にすぎないのですが、ダウンタウンの場合、漫才以外のことも完璧にこなすことができた。くわしくは今後書いていきますが、コントも司会もバラエティ・トークも、他の人とは違う次元でこなしていったんです。

漫才で異質な存在だったダウンタウンですが、一見非常に古臭いスタイルは、大向こうにはまるでウケませんでした。全然人気のなかったダウンタウンを、上岡龍太郎が絶賛したという話を以前書きましたが、もっぱらその技量を評価したのはプロというか同業の人だけだったんです。
かくいうアタシもそこまで興味をそそられる存在ではありませんでした。まだわかりやすい構図をもったハイヒールあたりの方が興味があったことをおぼえています。

しかしそこで状況を一変させる出来事がおこります。それが心斎橋二丁目劇場のオープンです。なんば花月やうめだ花月のような<常連&おのぼりさん>用の劇場ではなく、きわめて実験的な要素のある、かけだしの芸人を中心にした小劇場としてオープンしたんです。
おそらく吉本側は、当時定着しかけていた小劇団用にあった小さな劇場(例えるなら、下北沢のスズナリのような小劇場)のお笑い版のようなイメージでつくったのではないかと。しかしそこに、いわばジジ臭い漫才コンビのダウンタウンがピタッとハマると予想したのはごく一握りの人だけだったでしょうね。

この小劇場でダウンタウンは、完全に年寄りを切り捨てたようなコントを次々発表していくのですが、ここでの活動はいわばアンダーグランド的なもので、一般の人にはそれほど関係のないものです。
しかしここで培った経験とネタをじょじょにテレビに持ち込みはじめます。二丁目劇場にかけてウケたネタのうち、テレビ向きものを『今夜はねむれナイト』(関西テレビ)で発表したのです。

太平サブロー・シローが司会をしていたこの番組は非常に地味なもので、その中でダウンタウンがコントを演じたコーナーだけが燦然と輝いていました。このコーナーでやった初期の傑作『「あ」研究家』などのネタを、はじめてみた人が結構いるのではないでしょうか。そして同時に強い衝撃をうけたはずなんです。
やがてこのコーナーで、テレビに特化したオリジナルコントをやりはじめ、アタシはうめだ花月からなんば花月までゴルフをしていくという『プロゴルファー猿』のコントをみた記憶があります。(そしてこの流れが『ダウンタウンのごっつええ感じ』にいきつくのです)

この地味な人気にあてこんでつくられたのが毎日放送ではじまった『4時ですよ~だ!』で、本拠地である二丁目劇場からの中継で、月曜から金曜日までの毎日、文字通り夕方の4時からはじまる番組で、ダウンタウンでのローカル人気は決定的なものになります。

『4時ですよ~だ!』でダウンタウンがみせたのは一流のタレントぶりで、特にややをもすると地味な存在であると認識されかけていた(紳助に「お前はいずれ竜介みたいな存在になるねんから」とすらいわれていた)浜田の仕切りぶりはまことに見事なものでした。ソツのない進行ぶり、共演者へのボケのチェック、そして松本にボケのタイミングをつくるといったことを、この番組で完成させていったのです。

どうでしょう。こうやって網羅してみると、そのあざやかな<イメージの転化>がみてとれるのではないでしょうか。
≪地味な古臭い(しかし玄人ウケする)漫才コンビ≫→≪先鋭的なコントコンビ≫→≪バラエティでも力が発揮できるタレントコンビ≫といった具合に。

正直このレベルで「漫才もコントもタレントもでき、しかも独創的なネタがつくれる」若手は、後にも先にもダウンタウン以外おらず、一部の「わかっている」人たちが異常な期待をしたのも無理はありません。

このころになると、さすがにアタシもダウンタウンのすごさがわかるようになり、もしかしたらとんでもないスケールの芸人になるのではないか、と信じるようになりました。
アタシがダウンタウンに期待したのは、日本ではほぼ実現したことのない「チャップリンのような映画がつくれるのではないか」ということです。なにも涙と体技の映画をつくってほしいということではなく、完全に自作自演の映画がつくれるんじゃないかと。これはいまだに実現していませんが、今でも可能だと思っていますし、絶対やってほしいと思っています。

となると、ここでどうしても比較しなければいけない人たちがいます。
ひとりはもちろんビートたけし。もうひとり(一組)は、ややデビューと人気沸騰がダウンタウンより先行していたとはいえ、ほぼ似たような人気の得方をした、とんねるずです。

ビートたけしが急遽深作欣二に変わって監督をつとめた『その男、凶暴につき』が公開されたのは1988年のことです。いち芸人が「商業向けの、しかもコメディではない」映画の監督と主演をつとめたことは、たけし以後の芸人にはかりしれない影響をあたえたんじゃないかと思うのです。
それまで、いわゆる『あがった』芸人の進むべき道は、俳優か国会議員ぐらいしかなかったわけで、つくり手の、しかも最高権力者である映画監督への道をひらいたことは、特に、俳優に向かない、かつ裏方志向のある芸人に「あ、そんな手があったんだ」という指針にすらなったと思うんですね。

ちなみに1988年といえば、まだダウンタウンがローカルスターにすぎなかった時です。のちに松本は単独で『頭頭(とうず)』(1993)というオリジナルビデオ作品をつくっていますが、裏方志向で、しかもテレビや舞台と違い制約の少ない『発表した時点で完結する』OAVのような映像コンテンツに関心をしめしたのは当然でしょう。

ただ、たけしの監督デビューはいわば偶発的なことであり、現にたけし以外のコメディアンが商業映画の監督をつとめる(というか起用された)ケースはほとんどありません。(紳助の映画も純粋な商業映画ではない)
いくら松本がそっちの方にシフトしたがったとしても、それを受け入れる土壌が日本にはないわけですし、しかも全国的にみれば『かけだし』の存在だった松本がそういうチャンスを得ることはありませんでした。これはダウンタウンが大御所的な存在になった2005年でもおなじで、あれだけ映画製作への意欲を語っているにも関わらず、いまだに叶っていないわけです。
それを考えると、たけしがいかに運があったかがわかると思います。(もちろん才能があったことも否定しないが)

はっきりいってしまえば、現時点で松本の映画製作はかなり絶望的です。たけしはまだ『戦場のメリークリスマス』(1983)をはじてとして俳優としての評価があったわけで、つまるところ映画界とのつながりがあった。しかし松本は皆無ですよね。たぶん何本かの、他人のつくる映画で主演してからでないと無理だと思うし、だからといって今更そんなことをやるとも思えないし。
もし映画をつくることになっても商業映画ではなく、限りなく低予算なオフシアター向けのものになりそうな気がする。しかしそれならOAVでもいいわけで。
まぁ≪ダウンタウン主演、松本人志監督≫の商業映画が封切られることはまずないでしょうね。

さて

ダウンタウンがローカルスターだった時代、その人気を支えたのは女子高生をはじめとする若い女性たちでした。とにかく若い女の子から絶大な人気があったことは間違いありません。なにしろお笑い一切抜きの、歌だけのコンサートをふつうにやってる(もちろん関西限定で)状況だったんですから。
こうした『お笑いのアイドル路線』は関西ではさほど珍しいものではなく、古くは中田カウス・ボタンにはじまり、あのねのね、そして明石家さんまへとつづいていくのですが、この流れは漫才ブームの余波で全国へと飛び火しました。

その決定版ともいえるのがとんねるずなのですが、とんねるずのキャラクターは「陽」そのもので、「とんねるず」というネーミングの由来となった「暗さ」は、その名前が知られるころには影も形もありませんでした。
とんねるずが『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』といったテレビ番組、『一気!』や『雨の西麻布』、『歌謡曲』(個人的にはすごい名曲だと思う)などで大ブレイクした時、(若干時期はずれるものの)スケールを大阪に限定したバージョンがダウンタウンだったわけです。共通点はもちろん「アイドル路線」ですね。

ただしとんねるずが「陽」とするなら、ダウンタウンは「陰」そのもので、笑いのベクトルは正反対だったといってもいいでしょう。つねに当事者の立場のダウンタウンと、あくまで第三者的立場をとり続けるとんねるず、という部分でも正対している。

結果的にはこれがおたがいにとってよかったんじゃないかと思うのです。

『ごっつええ感じ』では、『みなさんのおかげです』の十八番ともいえるパロディコントを封印し、楽屋オチも極力排除していました。一方とんねるずも、ひたすら世間の評価など一切気にしていませんよ、といわんばかりの、自分たちがおもしろいと思える企画をどんどん実現させていった。

なんだかね、この二組はN極とS極のような気がするのですよ。反発しあいながらもお互いのパワーを自分のパワーに変えて浮上していく、というようなね。
ただどうも最近はダウンタウンが、あいかわらずマイペースのとんねるず側に近づいている気がしないでもないですが。

ここからは「ダウンタウン・松本」、「ダウンタウン・浜田」という、ひとりひとりにスポットを当てて書いていきます。

まずは松本から。
初回でも宣言した通り、松本の発想力はあえて無視してきましたが、今回もやっぱりそんなに触れません。なぜなら発想力よりももっともっとすごい武器が松本にはあると思うからです。
以前、ダウンタウンが彼ら以後の芸人にどれほどまで影響をあたえたかという話を書きました。簡単にいうと「彼らの『ボソボソしゃべる』という、うわべだけを真似た芸人が続出した」みたいな内容だったんですが、主に『ボソボソしゃべ』っていたのは松本の方です。しかし松本のすごさは、やる気がなさそうにボソボソしゃべっているようにみせて、実のところものすごく滑舌が明瞭なのです。
『ごっつええ感じ』のゲームコーナーで早口言葉をやるという回がありましたが、他の共演者をものともせず、ダウンタウンのふたりが圧倒的にうまかった。特に『ボソボソ』というイメージのある松本の滑舌のよさは、かなりの衝撃ものでした。

つまり松本は『ボソボソ』を芸風のひとつとして取り入れているわけで、ああいう風にしかしゃべれないからじゃないし、それを実現できるテクニックがあるのです。そりゃいくら表面上のスタイルだけを真似しても、それこそ発想力も何もかも劣る人が松本の足元にもおよぶわけがないのです。(そもそも松本のスタイルを取り入れようとした時点で、その芸人にはセンスがない)

もうひとつの武器は、あのいかにも運動神経のなさそうな動きです。
松本の動きは、たしかに運動神経が悪そうだけど、実に手足がよく動くでしょ。そして動きにテレがない。
ふつうはテレますよ。でその結果、中途半端な動きになってしまっておもしろくない。でも松本は思いっきり動くことで、不自然な動きすら武器にしてしまった。

これはさきの『ボソボソ』とセットになっていると思う。『ボソボソ』はある種気取ったというかテレの入った芸風です。でもそれだけじゃ生意気にみえすぎて親近感がない。それがあのケッタイな動きをすることによってバランスをとってるような気がするんですよね。

さて浜田の話です。
松本とは反対に、浜田は『立ち姿』が実にさまになっている。バラエティ番組でも献身的に動きまわりますが、その動きが本当にきれいなんですよね。これをみるだけで「ああ、この人は天性の芸人なんだ」と思ってしまうわけです。

浜田といえばツッコミですが、ここでツッコミに関して身震いのするようなエピソードを披露しましょう。

アタシの知人で、名前は伏せますが吉本で漫才をやっている人がいます。いわばダウンタウンの後輩にあたるわけです。
知人の方はボケなんですが、そのコンビは「ツッコミが凶暴すぎる」とみられていたんですね。ところがある日、ひさしぶりにこのコンビの漫才をみたら、メチャクチャおもしろくなってたんですよ。特に「凶暴すぎる」と揶揄されたツッコミがすこぶるよくなっている。
アタシはその知人に「いったい何があったのか」ときくと、驚くべき答えが返ってきたんです。

「あれなぁ、あいつ(ツッコミ)、浜田さんにアドバイスもろてん。『お前、ツッコんだ後、何でもええからニコっと笑え』って。それから急に変わった」

この話をきいた時、アタシは震えがとまりませんでした。『ニコっと笑え』なんて単純きわまるアドバイスですが、これは「ツッコミとはいかなるものか」を完全に掌握していないと到底でてこない言葉です。
『笑え』というのは「これはツッコミであって、本気で怒っているのではないですよ」という合図なんだけど、それを至極単純な言葉で(しかも誰でも飲み込める)アドバイスができるなんて、ちょっとできないですよ。これは人にものを教えたことのある方なら、≪ひとつだけポイントを指摘して、全体が劇的に変化する≫ような、このアドバイスのすごさをわかっていただけるんじゃないかと思います。

浜田はたびたび「(のりお・よしおの)上方よしおと、(中田カウス・ボタンの)ボタンのツッコミが好き」と語っていますが、漫才好きな人からみれば、非常にマニアックな好みですよね。
野球が嫌いな人には苦痛な話でしょうが、なんだか「土肥さんのバッティングフォームを参考にした」と公言する現中日監督の落合の話と相通じるものがある気がするのです。「そこからヒントを得るか」という部分と、完全に自己流に消化して、それこそ誰にも真似ができないものをつくりあげたという部分においてね。

さて
ダウンタウンの番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』、もしくは2回目でも触れた『4時ですよ~だ!』、そして現在も放送中の『ダウンタウンDX』、『HEY!HEY!HEY!』あたりが浮かぶと思います。
この中でもダウンタウン自身の燃焼度が高い(高かった)番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』になるのでしょうが、アタシが個人的に一番好きだったのは『夕焼けの松ちゃん浜ちゃん』(のちに時間帯を変えて『松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地』にリニューアル)なんです。

これは吉本新喜劇のフォーマットにダウンタウンを当てはめたもので、ダウンタウン以外にも今田耕司や東野幸治、ほんこんなどの、いわゆるダウンタウンファミリーも出演していました。

朝日放送の日曜12時では、木村進・間寛平・コメディNo.1による『あっちこっち丁稚』以来、吉本の若手芸人を中心とした吉本新喜劇が多数制作され、桂三枝の『花の駐在さん』やさんまの『さんまの駐在さん』などで、途中中断したものの、現在でも陣内智則とフットボールアワーの『横丁へよーこちょ!』が放送されています。

なにしろ下地が吉本新喜劇なので、基本的にハナシはどれもいっしょ。逆にいえばそれだけその芸人の力が試されるわけです。

浜田はコンビニの店長かなんかの役だったんですが、エプロンのポケットにね、スリッパが常時入ってるんですよ。もちろんツッコミ用に。
それでボケまくる共演者をことごとくチェックしていくんですけど、これが最高におもしろかった。もちろん松本もでててるんだけど、ちゃんと吉本新喜劇風の、しかも松本らしいボケ方でね。

アタシの持論として「一流の芸人はベタをやらせても巧い」というのがあるんです。たけしもそうでしょ。あの人も実はベタの方がおもしろかったりする。逆にいえば、ベタもできないようじゃ、シュールな笑いはできないってことなんでしょうね。うん。

さっきも書いたように、現状ではダウンタウン主演・松本監督の映画はほとんど無理な情勢です。ではこれからのダウンタウンに何をやってほしいかというと
「ベタな笑い(コントでもコメディでもなんでもいいから、バラエティでなくとにかく作り物で)をダウンタウン流に処理した番組をやってほしい」
のです。
そういう展開は松本の本意ではないかもしれないけど、そういうのをもっと見てみたいと本当に思います。
『明日があるさ』の映画版だって、最初の構想通り『社長』シリーズのリメイクにしておけば、もっとわかりやすい喜劇になったのに。本当にもったいない。

最後になりますが、ここまで封印してきた≪松本の発想力≫のことですが、アタシは何も認めてないわけではないのです。実際『4時ですよ~だ!』以来、何度そのボケに愕然としたかわかりません。ただ松本の線でダウンタウンが動くと、少しアンダーグランド寄りになってしまうような気がしています。
それじゃ困るんですよ。「一部のわかってる人だけに向け」てやるのではなく、もっともっと幅広い人にアピールするような、そしてダウンタウンの持ち味を完全に活かした番組をこれからもやっていってほしいんです。

だってそんな、マニアックな存在で終わるようなタマじゃないもん。ダウンタウンは。




各エントリの前フリをカット、そしてブリッジとして若干補足を入れましたが、評価等は一切手を加えていません。松本が映画を撮るのはまず無理、といった部分もあえてそのままにしています。

本来ならここで「今の視点」を加えるのですが、さすがに長すぎるので次回へ持ち越します。

2011年10月22日土曜日

中島みゆきのこと(再録)

えと、今回はyabuniramiJAPANリターンズでお茶を濁します。
いろいろ過去ログを読み返してみて、思ったよりつまらなかったことは多々なんですが、逆は意外とないもんで。そんなもんだよチミ。
そんな中で例外中の例年とまではいきませんが、予想外に良く書けてたのが今回のやつです。つかこんなのを書いたことすら憶えてなかった。
ま、中島みゆきといえば「南極大陸」のテーマを歌ってるわけで微妙にタイムリーなんじゃないかと。

このエントリは元々三回に分けて書いてありました。異様に長いのはそのせいです。
また前フリも本ネタとリンクしているのでカットしていません。
それでは時計の針を2004年10月19日に巻き戻します。




アタシは去年(※現注:2003年)まで東京に住んでいたんだけど、関西人として想像していたのと違う部分がかなりありました。

たとえば東京って意外と緑が多いんですよ。といっても人工的な緑なんですが。つまり公園が、それもやけに大きい公園が多いんですよね。でもそれだけでもだいぶ違うというか。大阪とか大きめの公園って大阪城公園か長居公園ぐらいしか思いつかないし。
あとけっこう静か。そりゃ繁華街は半端じゃないですけど、一歩路地に入るとけっこう静かなんですよね。特に住宅地の静かさはそこらへんの田舎よりよほど静かです。
人間的にも人情的な人も多いし。
ただ街中はね。特に新宿とかのターミナル駅なんかを見ていると、人間が全員心のないマネキンみたいに見えますもん。ちょっとしたいざこざがあってもみんな気に留める様子もないし。

当時の会社の同僚がそんな光景をみて「なんか中島みゆきの歌みたいですね」といったのをよくおぼえています。中島みゆきの歌というのは『ファイト!』のことで、例の、ホームで子供を突き飛ばす、といった歌詞のくだりをさしてるんだけれど。

てなわけで中島みゆきの話を。

アタシは中島みゆきの濃いファンじゃないし、『夜会』はおろか、ふつうのコンサートもいったこともない。でも好きなんです。引かれることが多いんであんまり人にはいわないんだけど。

一般に中島みゆきといえば<失恋>というキーワードで語られることが多いと思うのですが、ライトな中島ファンからいわせてもらえれば、けっこう街を丁寧に描いているんですよ。正確にいえば街での生活ってことですね。

実際に東京に住んでみてね、ホントに中島みゆきの歌詞の世界の中にいるんだなぁって痛感したことが多々ありました。なんというか、全然知らない他人と街ですれ違う感覚がまさに中島みゆきの歌詞そのものなんです。うーん、わかりにくいですかね。ま、一度でも東京に住んだことがある方なら、なんとなくニュアンスがわかってもらえるじゃないかと思いますが。

でもこれ、東京に限った話じゃないんです。

アタシは東京に住む前、3年ほど福岡に住んでいたんだけど、まったく同じような感覚に陥ったことがあってね。
さきの『ファイト!』の中に、あきらかに北部九州での光景が描かれているんだけど、これがアタシが実際に福岡に住んでみて感じた福岡の人間像に非常に近いのです。もちろん歌詞の中にあるような街や家族を知ってるわけじゃないですが、ああこういうことが本当にあってもこの辺なら全然不思議じゃないなと。

『ファイト!』をはじめて聴いた時、なんかすごく懐かしい感覚に襲われたのを憶えています。アタシは昭和43年生まれなんだけど、あのかすかにおぼえている1970年代の香りね。それをすごく感じたのですよ。

当時の中学生はまだ深夜ラジオを聴きながら勉強をするという習慣が残っていて、アタシも勉強はしないまでもポケットラジオで『ヤングタウン』なんかを聴いていました。アタシが中学生の頃はすでに1980年代に入っていたわけだけど、それでもそういう<中学生が深夜ラジオ>というキーワード自体が1970年代なわけで『ファイト!』なんかはそういう感覚をものすごく捉えている。だからなつかしく感じたんです。

で、さらに後から調べてみると『ファイト!』て1980年代に入ってからつくられた曲なんですね。でも、そうとわかった今だからこそ、『ファイト!』は1970年代の象徴の集大成じゃないかと。
アタシの大好きな『俺たちの旅』とかね、ああいうネクラな時代の象徴。いわばバンカラ学生から、イジイジした<やさしさ>ぐらいしかセールスポイントのないネクラ学生が主役を奪い取った時代。

アタシは1960年代オタだけど、1970年代にもそれなりに味がある時代ですよ。で、どんな味だったかといえば、『ファイト!』の詩に集約されている気がするんです。あの世界こそアタシの思い浮かべる1970年代の空気なんです。

なんだか『ファイト!』の話ばかりになりましたが、アタシが中島みゆきの本当の魅力に気づいたのはさらに後、『聖者の行進』(1998 TBS)の主題歌『命の別名 』のアルバムバージョンを聴いた時なんです。
『命の別名』はドラマの主題歌になったので、そこそこ知名度のある曲だと思います。まぁいつものように、いつのまにかメインのラインかのごとくなってしまったセルフパロディっぽいやつだな、ぐらいの認識だったんですけど、ある事がきっかけで、これのアルバム・バージョンを聴いたんです。

そしたらね、もう全然違うんです。シングル・バージョンと。もうギャグのように大袈裟に歌ってる。なんじゃこりゃと。もう笑った笑った。ありえないよと。ここまで自分の曲を茶化すもんかよと。

それに気づいてからいろんな曲を聴くとこれがすごいんです。もうあちこちにギャグが隠れている。なんちゅう高等なコミックソングやと。

中島みゆきといえば深夜ラジオのパーソナリティ、というイメージの人もいまだに多いんじゃないでしょうか。それくらい強烈なキャラクターだったみたいで。まぁアタシは年代がズレているので直に聴いたことはないのですが、もう異常といってもいいぐらい躁状態で番組が進行していったそうです。

でも実際は≪暗い曲の代表≫みたいなのばっかり作ってて。まさに躁鬱ですよね。でもね、きっとこの人、そうやって他人にギャップをみせつけることを楽しみにしてたんじゃないだろうかと。

泣き節を歌い、躁状態でラジオのパーソナリティをし、ギャグとしか思えない莫迦みたいな歌唱をする。これは歌手というより一種の芸人ですよ。

ホントにね、曲によって歌い方完全に変えてるからね。まるでなんかの登場人物になりきって歌ってる。

莫迦な女。けなげな女。恨み節の強い女。自己主張の強い女。・・・・

これって昨今の芸人でいえば、まさに友近じゃないですか。なんか表現方法が歌かひとり芝居かの違いしかないようにすら感じる。なにより鑑賞していると、なんかわからん変な笑いが渦巻いているところなんか本当にそっくりですよ。

ということで、これから友近を≪芸人版・中島みゆき≫と呼びたいと思います。同時に中島みゆきを≪歌手版・友近≫とも呼びます。もうそう決めた。




実際はもうちょっと続きがあるのですが、あまりにもつまらないボケなのでカットしました。

このエントリを書いてから5年半後に「ひとり」という中島みゆきの楽曲について書いてます。
合わせてお読みいただけると、また違った味わいがあるんじゃないかと。多少内容が重複してますけどね。

2011年10月13日木曜日

関西人と納豆の話(再録)

えと、宣言通り「yabuniramiJAPANリターンズ」として、過去に書いたエントリの中からの再録をしたいと思います。
せっかくなんで、アタシがyabuniramiJAPANで書いた中で最もお気に入りのエントリから始めたいなと。但し前フリはカットしています。(この日の前フリは福岡での地震に関してでした)
なお現在の視点から補足がある場合は「※現注」として追記しています。
というわけで時計の針を2005年3月21日に戻します。




ふと気になったんですけど、「関西人=納豆嫌い」なんて、誰が言い始めたんでしょうかね。
というのも、アタシの周りの友人・知人、もちろん関西人に限ってなんですけど、みんな納豆が好きなんですよね。少なくとも「納豆?あんなん人間の食うもんちゃうで!」みたいな人はひとりもいません。
アタシのミニマムな交友関係ですべてを語るのは無理があるのですが、それでもやっぱり「本当に関西人は納豆が嫌いなのか」という疑念は拭い去れないんですね。

関西人が納豆が嫌いといわれる所以はいろいろ云われていますが、アタシが以前テレビでみたのは「その昔、納豆は足が早いので、関東から広まらなかった」ってのです。<納豆>が<足が早い>ってのはおかしいな。風味が損なわれるとかだったのかもしれません。
が、この仮説はちょっと無理がある。おもに<納豆嫌い>と語られるのは関西人だけです。そしてこれはテレビで関西の芸人が大挙に出る前からいわれています。
もし「関東から広ま」りにくかったとして、それなら関西以西や東北・北海道も<納豆嫌い>の地域として認識されているはずなんです。実際これらの地域で納豆がどれほど食べられていたのか定かではありませんし。

ただ確実にいえることがあります。

・関西の家庭の食卓に納豆がでてくることは稀
これはウチだけでなく、子供の頃からよそのウチにお呼ばれになった時も一度たりとも納豆がでてきたことはありません。

・関西ローカル番組の料理コーナーで納豆を具材で使われることはない
ないことはないかもしれませんが、アタシは見たことはありませんし、おそらく多用されている事実はないものと思われます。

ここでひとつ仮説を立ててみます。
<関西では、一定の年齢を境に、納豆の好き・嫌いが分かれる>

こう考えれば家庭の食卓に納豆がでてこなかったのも、テレビの料理コーナーで納豆が使われないのも、アタシの周りの、友人になりうる関西人(せいぜい40歳ぐらいまで)が納豆が好き、というのも納得できます。
しかしここであらたな疑問がでてくる。

・<一定の年齢>というのは、具体的に何歳程度なのか
・そしてその理由は?

そこでさらに仮説を立てます。
<関西人の納豆に対するスタンスを変えたのは、吉野家である>

吉野家とはもちろんあの吉野家です。しかし吉野家がなぜここにでてくるのか。
説明しましょう。

納豆とは非常にクセのある食物です。なにより「あのにおい」に嫌悪感を持つ人は多い。たしかににおいの強烈な食物は親近感がないというか、とっつきはすこぶる悪い。くさや然り、鮒寿司然り。しかしクセがある分、一度ハマったらやみつきになるという習性があります。
食卓に納豆がでてこないというのは、子供時分にまったく親しんでいない食物なわけで、それが変わるのはひとり暮らしをはじめたり、家での食事より外食が増えた時です。

では関西人の、納豆にたいするとっつきをつくったのは何なのか、というと、これは吉野家以外考えられないんです。

その昔、吉野家の朝定食は納豆定食と焼魚定食しかありませんでした。
(余談ですが、魚に詳しい友人は「焼魚定食やったらええけど、牛鮭定食はあかんやろ。あれ、鮭ちゃうし」といってたけど、ホントのところどうなんだろうね?)
それまで関西の、いわゆるふつうの定食屋で納豆がふつうに置いてある店は極少数でした。その変化をもたらしたのが吉野家で、これは<全国チェーン=メニューの統一>という部分からきているのですが、ここではじめて納豆に接した人はかなりいるんじゃないでしょうか。なによりアタシがそうでしたから。

もちろん吉野家にいったことのない人もかなりいるとは思います。現福岡在住・元関西人の友人は、未だかつて一度も吉野家にいったことがないといいます。
でもね、たとえばひとりの男性が吉野家の常連だったとして、
<その男性が納豆にハマる→カノジョにもすすめる→カノジョもハマる→別れる→女性、新しいカレシに納豆をすすめる→カレシハマる→別れる→戻る>
というスパイラルが生まれ、ねずみ算式に納豆好きが増えるのです。
まぁねずみ算式は大げさにしても、十分に<とっかかり>にはなっているんじゃないでしょうか。なにしろそれまで何のとっかかりもなかったのからすれば、すごい進歩(?)ですよね。

この仮説を<納豆に嫌悪感がない人が増えた>理由だというなら、先ほどの、納豆の好き・嫌いが分かれる<一定の年齢>の推定ができます。
吉野家が関西に進出したのがいつなのか定かではありませんが、本格的に店舗が増えたのは、アタシが高校生~大学生の頃だったと思います。つまり1980年代半ばのことです。
この辺りに大学生(に準ずる年齢)だった人がターンポイントになるんじゃないでしょうか。
つまり「関西人の納豆が好き・嫌いの、比率逆転の境目は40歳前後である」と。
(※現注:2011年現在、45歳前後)

どんなもんでしょね。でもここに書いたのは仮説ばっかりで、ちっとも論理的な根拠がないので、あんまり人に言いふらさないでくださいね。




納豆は今でも大好きですが、さいきんテレビで納豆嫌いを公言する人も減った気がします。
こないだ、全員関西出身が売りの関ジャニ∞が、ひとりを除いて納豆好きと言ってたのにはビックリしました。
まあそういう時代なんでしょうね。コンプライアンスとかの問題もあるだろうし。