2009年1月11日日曜日

羞恥心と立見里歌と地デジ

別に業界関係者でも何でもないのでテレビがどうなろうと知ったこっちゃないが、それでもこれからテレビというものがどうなっていくのか考えると夜も眠れない。

テレビ史上最大の愚行ともいえる羞恥心の活動が終わった。こういうノベルティものはイタいのは当然で、いやある種イタければイタいほどいいのだが、羞恥心に関してはイタいというより、悲しくてしょうがなかった。
いや羞恥心のメンバーには何の嫌悪感もない。むしろ見ててかわいそうになったぐらいだ。
たしかに彼らは売れた。しかしそれはいずれ相殺されるに違いない。なぜなら彼らの活動は彼ら自身ではなく、テレビ界の汚点になるはずだから。

それでも最初は生暖かく見守っていた。ま、「おバカ」を売りにするのは目新しいんじゃないの、と思ったからだが、よくよく考えると立見里歌が先駆者じゃないかという気がしてきた。
立見里歌はおニャン子クラブの元メンバーであり、メンバーの中でも年齢が高いこともあり最初は地味な存在だった。
ところが石橋が「オイニィ」(臭い、ですわな)という名前をつけてイジりだしたら、わけのわからない人気がでてきた。
挙げ句、ニャンギラスというグループ内ユニットのメインボーカルになり、その名もずばり「私は里歌ちゃん」というレコードをリリース。オリコン1位を獲得してしまう。
立見里歌は東海大学に在学していたはずで、まあ年相応の知識はあったはずだが、漢字が苦手だったようで「おバカキャラ」になってしまった。
(他にも致命的に歌唱力がない、というのもあった)
こんなことを回顧してもしょうがないし、島田紳助が立見里歌を知らない(忘れた)可能性も強いのでパクったとも思わないけれど、とにもかくにも羞恥心がこの手のパイオニアでないことだけはたしかだ。

全然話がそれるが、地デジが普及しない、とお偉いさん方が嘆いているけれど、それは受信機の価格がどうこういう問題ではなく、ハイビジョンで見たいと思わせるような番組がほとんど存在しなからではないか。
いや、そもそも視聴率表とか見てると全体的に恐ろしいほど下がっており、テレビは今持ってるから見てるだけでなくても問題ない、と思ってる人が増えている気がする。
自分だってそうだ。モニタにDVD(いずれはブルーレイになるだろうが)がつながって、放送というものを見るにしろスカパーがあれば何の問題もない。

まあとにかく羞恥心のせいでテレビが墜落していかないことを願う。少なくとも「ヘキサゴンをハイビジョンで見たいから地デジにするんだよね」なんて人を自分は知らない。

2009年1月9日金曜日

飛行機嫌い

またいつか飛行機で遠出するようなことがあるかと考えると夜も眠れない。

飛行機が嫌いといっても、高いところが苦手とか、鉄の固まりが飛ぶなんて信じられないとか、揺れると怖いからとか、そういうことは一切ない。でも飛行機は嫌いなのだ。
先日も友人の結婚式に出席するため飛行機に乗った。新幹線でも行けなくはない距離なのだが、交通費が倍ほど違う。もちろん飛行機の方が安い。
というより新幹線が高すぎるのである。
しかしなんで新幹線はああ料金が高いのだろう。もしリニア新幹線を切望する理由があるなら、相対的に現行新幹線の料金が下がるかも、という期待からしかない。
まあそれはいい。
飛行機の何が嫌いといっても面倒なとこだ。
まず空港が遠い。わりと近場から空港行きのバスがでてるのだが、これに乗って空港まで90分。待ち時間が約1時間。これで飛行機がすぐに飛び立ってくれればいいのだが、離陸まで20〜30分かかる。
飛行時間は1時間半ぐらいなのだが、結局5時間ほどかかり、新幹線で移動するのと大差ない。
次に面倒なのは手荷物検査だ。検査自体はものの1分程度だが、タバコを吸う身としてはオイルライターを持っていけないのがめんどくさい。
飛行中もたいくつだ。揺れが激しい時など何度も読書を中断するハメになるので小説は向かない。
軽いコラムやエッセイなんかがいいのだが、こういう時に限って読みたい本がなかったりする。
ケータイはダメなのは当然としても、離発着時はiPodのようなものもいけない。離発着に要する時間は合わせて60分。つまり飛んでる時間は30分しかないわけで、聴いた気がしない。
「カセット式のプレーヤーならOKです」なんていわれても、もう持ってねーよ。今更テープにダビングなんてやってられますかってんだ。
そしてトイレにも行けない。行けないことはないが、時間が限られてるし、何となく行きづらい。

ものすごいわがままなのはわかってる。でもこれらのことは新幹線ならオールOKなんだもん。
それを考えると、飛行機と新幹線の料金差は
・新幹線=基本的に何でもあり
・飛行機=制約だらけ
この差なのか。うーん、何か変な気がするな。

しかし自分というやつは困ったもので、飛行機は嫌いなんだけど、空港は大好きなんですよね。あの雰囲気がたまらないんだな。
飛行機に乗る用事もないのに、飛行機に興味もないのに、空港に行きたがる男を自分は他に知らない。

「封印作品」作品の技量

読ませる文章、とはどういうものなのか、考えると夜も眠れなくなる。

ついこの間「封印作品の憂鬱」を読了した。
「封印作品の謎」も「封印作品の闇」も両方面白かったので、「憂鬱」もあわてて買ったのだが、とにかく読ませるシリーズである。
これまでも封印されたテレビ番組、映画、レコードにスポットをあてた本はあったが、どれもコラム的な紹介にとどまり、読むというより眺めるという体のものばかりだった。
しかしこのシリーズは違う。松本清張の「日本の黒い霧」を彷彿させるような"煮詰め方"で、しかも驚くほど読後感がいい。
扱う題材が題材なだけに、一歩間違うと不快感を催したり、どうしても謎解きが完遂できない時には消化不良をおこしたりしそうなものだが
このシリーズはそういうのを一切感じさせない。
自分のようなものがいうのは僭越なのだが、結局文章が巧みなのだ。
この手の本は大抵作者の思い入ればかりが強くて、それに文章がついていってないものがほとんどなのに
この作者はあえて「特別ファンではない」ものを取材対象として、一歩引いたところにいる。
だけれども取材は綿密だ。綿密な取材を重ねることによって、個人的な感情も露呈させていくのだが、それが読む側の気持ちを熱くさせて一気に読ませてしまう。

本当は自分もこういう文章が書きたいんだがね。テクニックの問題ですな。それを考えると自分より若いのにこれだけ読ませるテクニックを持ってる作者の安藤健二って人は本当にすごい。
これぐらい若くてこれだけの文章を書ける人を自分は他に知らない。

2009年1月7日水曜日

赤い編集

誰にとっても納得できる名場面集なんてあるのだろうかと考えると夜も眠れない。

こないだ撮りためた映画を消化せねばならんという話を書いたが、あまりにも骨が折れるためとうとう編集ソフトを買ってしまった。
DVDに焼いていくのはフリーソフトでもできるのだが、これが非常にめんどくさい。その点購入した編集ソフトはさすがに有料だけあって、手間も少なくて済むのがうれしい。
とはいえそれでも結構面倒なんだわ。それというのも、さすがフリーのものと違ってできることが多い。となるとどうしても少しは凝ったものにしたくなる。
しかしてこれまでと作業量は変わらないのであった。アホか。

よくよくレコーダを覗いてみると、肥やしは映画だけではなかった。ドラマなんかも結構な分量を占めている。
中でも去年TBSチャンネルでやってた「赤い嵐」を何とかしなければと思うとうんざりしてくる。
そう、そういうドラマがあったのだ。今から30年近く前の作品で、主演は柴田恭兵。制作は大映テレビ。
仮にこのドラマの存在を知らなくても、これだけ聞けば、どれほど濃厚で脂っこい内容か想像していただけると思う。
実は大映ドラマってのはあんまり好きでない。なのに保存しておこうと思ってしまったのは、柴田恭兵があまりにも面白かったからなのですな。
「あぶない刑事」以降の柴田恭兵しか知らない人には「あまりのキザぶりが面白いのかね」と思われるかもしれないが、違う。
文字通り、恐ろしいほどのコメディアンぶりで、信じられないぐらい笑わせてくれる。
顔はやっぱり二枚目だが、このドラマを見てると全然そう見えないんだからフシギだ。

奇妙なダンス、とんでもないセリフまわし。
能勢慶子との「しのぶちょあん!」「ばごどざん!(まことさん・能勢慶子のセリフ)」
緒方拳との異様としかいえない対決。どれも大映ドラマスパイスがたっぷりふりかかっている。

しかしあれなんだわ。ドラマとして、というかストーリーはどうでもいいんだよね。ただただ柴田恭兵の奇行が楽しいだけで。
だから名場面集でもつくって、こういう面白さを共有できるであろう友人に見せようと思うんだけど、これが大変すぎる。
「このシーンはいるな」
「長すぎたら逆に面白くなくなるぞ」
とか考え出したら、いつまでたっても終わらない。

初回放送から28年、再放送からでも一年近く経ってるのに、いまだに「赤い嵐」のことで頭がいっぱいな男なんて、自分以外に他に知らない。

2009年1月6日火曜日

や〜まだ

知ってることが多い方が発想の翼が広がるのか、はたまたまったく逆なのか、なんてことを考えると夜も眠れない。

昔、阪神タイガースに山田というキャッチャーがいた。キャッチャーとしてはともかく打者としては何とも非力で
貧打・阪神の象徴ともいえるような選手だった。
この頃まったく野球に興味のない友人とテレビ中継を見ていた時、彼はこの山田を指して
「彼はや〜まだと呼ばれているのか」と質問してきた。
ここでまた説明が必要になる。
「や〜まだ」とは「ドカベン」という野球漫画で、岩鬼なる八方破れの登場人物が主人公・山田太郎をこう呼ぶのである。
アニメにおいて岩鬼の声をあてた玄田哲章が独特のイントネーションで「や〜まだ」と発していたのをおぼえておられる方も多いと思う。

自分はプロ野球編でもスーパースター編でもない「ドカベン」は大好きだったし、プロ野球は今もって大好きだ。
だからこそ阪神の山田とドカベンこと山田太郎がつながらない。
たしかにキャッチャーという共通点はある。だが恐ろしいほどの打撃がウリの「や〜まだ」と打率二割すら危うい阪神の山田とは
イメージがあまりにもかけ離れている。

自分にとってはとんでもない質問をした友人は野球は知らないに等しいが、おそらくアニメのドカベンは見ていたのだろう。
知識が少なかったからこそ「名前が山田でキャッチャーをやってるならニックネームはや〜まだだろ」と思ったに違いない。
そう、これぞまさしく知らないからこその発想なのだ。
よく「童貞のうちが花だ」なんていう。知ってしまうととたんに性にたいしての想像力が落ちてしまう。
じゃあ何にも知らない方がいいのかというと、知らなすぎると発想が似たようなとこでグルグルしそうな気もするし
さっきの話でいえば「ドカベン」に関して多少なりとも知識があったからこその発想ともいえるわけで。

しかし、あれだわ。さきほどの友人、野球に興味がないのに「ドカベン」見て面白かったのだろうか。
そんな人間は彼以外に自分は知らない。

2009年1月4日日曜日

レコーダの肥やし

たまった映画を本当に消化しきれるか考えると夜も眠れない。

正月だというのに今年はまだ一本の映画も観ていない。
劇場に足を運んでないことはいうにおよばず、DVDも借りてきてはほったらかし。
HDDレコーダにため込んだ映画も全然観てない。
観ないんだったら借りなきゃいい、録画しなきゃいいんだけど
TSUTAYAなんかに行くと突発的に借りたくなるし、DVDにもビデオにもなってない映画をCSなんかでやると「一応」と録画してしまう。
んで何を見てるかというと、映画を借りるついでに借りたリチャードホールだったりする。
どう考えても志しの高い番組だったとは思えないんだけど、でもシャレ山紀信と尾藤武のコントが好きなんだよね。

そんなことはどうでもいい。たまった映画をどう消化するかって話だ。
去年の年末に消化した一本に「若い季節」ってのがある。
大昔NHKでやってたバラエティドラマ(シットコムみたいなもの)の映画版だが、まあほとんどテレビ番組とは関係ないオリジナルで
監督はかの古澤憲吾。もうこれが古澤印100%の映画なんだわ。古澤憲吾らしすぎる映画。それだけでうれしくなってしまうフシギな映画だ。

いやいや、それもまあいい。問題はHDDレコーダの映画をどうやって消化するかだった。
いろいろ事情があって3月までに何とかしなきゃいけないのだが、さすがに視聴しきるのは無理だ。
けれども消してしまうのも惜しい。そうなるとDVDへ移すという作業が必要なのだが、これが果てしなくめんどくさい。
でもやんなきゃしょうがない。しょうがないんだよ。

しかし、なんというか、映画って娯楽のはずなのに何でこんな苦行をしなきゃならんのだ。こんな苦行を黙々とやってる人を自分は他に知らな・・・・いや、いっぱい知ってる。

ケータイ大喜利のコワさ

板尾の、あの鋭すぎるセンスは、いったいどうやって培われたのか、それを考えると夜も眠れない。

「ケータイ大喜利」は「やりすぎコージー」と出演者がカブっている上、「やりすぎコージー」に比べると、NHK制作ということもあってどうしてもヌルいイメージを持たれてる方も多いかもしれない。
たしかにこの番組はヌルい。ただしヌルいと同時に非常にコワい番組でもある。何がコワいといっても、板尾のコメントがコワいのである。
先々月のオンエアで、めっきりウケなくなった投稿者を揶揄する投稿がきた時、こんなコワいことをいってた。
「芸人でもそうなんですけどねぇ、イジられだすとネタがウケんようになるんよなぁ」
続けて
「長いですよ、抜け出すの」
コワい。コワすぎる。マジでやべえなというような表情でこんなことをいう板尾がコワすぎる。小便チビりそうになる。

自分は芸人ではないので真意の推測はやめる。しかしそういうことを実際に感じた芸人にとっては戦慄が走るような言葉ではないのか。
何度もいうが、たしかに民放のバラエティに比べると「ケータイ大喜利」はヌルい。今田耕司は司会者としてレベルの高い人なのでそういうことを感じさせない絶妙の配慮はしているが、それでもやっぱりヌルい。
板尾のコメントも基本的には甘口だ。けれども時々恐ろしいほど真意を突くような発言をする。
辛口や罵倒はいわれた側の人間も逃げ道がある。しかし真意を突かれたら逃げ場所がない。
自分のいうコワいとはそういうことである。

ヌルいのにコワい、という反比例するようなことを実現させている番組を自分は他に知らない。