2008年9月30日火曜日

流転



京都は嫌いだが、「祇園小唄」は好きだ。

1930年の歌だが、何というか、京都のもってるムードの、いいところだけをうまく抽出してある。80年近く経っているが、まったく古びていない。というか、未だにこの歌にすべてが集約されているよな気がする。

「祇園小唄」や「ちゃっきり節」、「東京音頭」などは厳密にいえば<新民謡>といわれる民謡を模してつくられたもので、昭和初期に量産されている。

新民謡を含めた民謡とは、いわゆるご当地ソングなのだが、長年生きながらえただけあって、どれも本当によくできている。ただ名物・名産を歌詞に織り込んでいるだけでなく、土地の持つ空気感を見事に再現してあるものが多い。

たとえば「黒田節」なんかもそうで、数年とはいえ福岡に住んでいた身としては、何というか、実に福岡っぽい。「♪さぁ~けぇはぁ~」という出だしを聴くだけで、福岡の、あの街並みを思い出してしまう。

街には歌がある。歌が記憶をつなぎ止める。時間が経っても、歌を聴くと、その時の記憶や街の空気が、頭の中にさっとよみがえる。

思えば、生まれて早40年。いろんなことがあった。いろんなことは誰にだってあるが、本当に、流転の人生だった、と思う。流転も形容ではなく、実際に何度も何度も引っ越した。成功のプロセスとしての引っ越しではない。まさに、流れ流れて、そして今に至る。

福岡に住んでいたことは、何度か書いた。生まれ育った神戸のことも、もちろん書いた。しかし住んだのはその二箇所だけではない。東京も住んだし、大阪も住んだ。他にも住んだ街はいくつかある。

どれも思い出深いところばかりである。絶望して離れた街もあるし、泣く泣く離れた街もある。

それでも、歌は偉大だ。どんなに辛い思い出しかない街でも、土地の歌を聴くと、悪い記憶が浄化されていくような気がする。良い記憶は、さらに美化されていく。

流転も悪くないな、と最近になって思い始めた。今から土地ごとの流転は、さすがにちょっとしんどいが、30代までの流転なら、やっておいてよかったと思えるようになってきた。

これが活かされるか否かは、これから次第なのはもちろんだが、しかし、思うのだ。

おそらく、もう一度人生をやり直しても、また同じような人生になるのだろうな、と。細部は異なっても、やっぱり流転の人生になるのだろう。

でもそれもいいかな、と思う。大変と退屈、二択しかないのなら、大変を選んでしまう、それが自分なんだと思う。

京都も福岡も、街の空気は、何十年、何百年経とうが変わらない、ということは歌が証明している。

人間も一緒だろう。もし子供の時に自分のテーマソングができてたとしたら、おそらく40年近く経った今でもテーマソングとして通用するはずである。

そのテーマソング、歌詞にはきっと「流転」という言葉が編み込まれているはずだ。




さて、ひと月近くがんばって日記を更新してきたが、それも今日でおしまいである。

そういうマメなことができるタイプではないのだが、自分を試す意味で、あえてやってみた。

もうひとつのチャレンジ、それは「自分について書く」ことだった。

何度か名前が出てきたEから「秘密主義」呼ばわりされているが、自分は秘密主義でもなんでもない。説明するのがめんどくさかったり、何でそんなこと聞きたがるの?と訝しがってるだけの話だ。本当に秘密にしておきたいことなら、もっと巧妙にやる。

とはいえ自分のことを書くのは、何となくイヤだった。文章にするからには過去の出来事を整理しなければならない。書いてあることは基本的に本当だが(一部に誇張と補足はあるけど)、ただ事実を書き連ねていけば冗長になりすぎるので、事象やら人物を削っていかなければいけない。その整理が面倒だった。今更、という気持ちもあった。

「過去を整理したい」という気持ちなども、さらさらなかった。そんな面倒なことはしょっちゅうやるもんじゃない。せいぜい生きているうちに一、二度やればいい方だ。

それでも、秘密主義とまでいわれたら黙っていられない。そこまでいうならチャレンジしてやろうじゃないか、という気持ちで始めた。

三年以上ブログをやってたが、このひと月の方がよほど疲れた。やはり自分のことを書くより、他人が作った作品なんかについて、うだうだ書いてる方が向いてるようだ。




2008年9月29日月曜日

最後の晩餐



母親に聞くと、子供の時の自分はわりと父親になついていたらしい。

そうなのか、と不思議な気持ちになる。今はもちろん、子供の時でさえ父親にたいして好意的な感情を持ったことなどなかったはずなのに。

中学一年の時、両親は離婚した。離婚したといっても父親だけが出て行った状態だったし、名前も変わることがなく、何一つ生活の変化はなかった。

前年ぐらいから父親が帰ってこない日が多くなった。たまに帰ってきても深夜に近い時間であり、枕元から両親の激しい口論が耳に入ってきた。

だから離婚ときいて、正直ホッとしたのをおぼえている。もうあの、子供ながらに感じる醜い言い争いを聞かなくて済むと思ったからだ。だがそれだけではない。

両親の離婚イコール、ある種の恐怖心の消滅をも意味していた。だから心の底からホッとしたのだ。

あれは小学六年の時だった。珍しく早く父親が帰ってきた。そして久しぶりに近所の店にメシでも食いにいくか、と言い始めた。

すでに父親にたいしての悪意が芽生え始めていた時期なので、別段うれしくはなかった。

しかしはっきりおぼえている。自分は必要以上にはしゃいだ。はしゃがなくてはいけない、何かそういう空気が横溢していた。

父親、母親、自分、そして妹と弟。家族五人は近所の、何て事無い中華料理屋に入った。

普段皮肉な目付きの薄ら笑いしかしない父親も、何故かこの日は上機嫌で、たしかビールかなんかを注文し、好きなものを頼め、と見せたことのないような笑顔で子供三人に促した。

そんな父親とは対照的に、母親は妙に緊張した顔をしているし、妹と弟もどことなく堅い。それは思い違いかもしれないが、小学六年の自分にはただならぬ雰囲気に思えてしかたがなかった。

自分は注文した若鶏の唐揚げをぱくつきながら「♪若鶏、若鶏、カ・ケ・フ~」と、この時をさかのぼること数年前に関西地区でかすかにヒットした、阪神タイガースの掛布雅之選手の応援ソングの替え歌を口ずさんだ。(本当の歌詞は若鶏ではなく若虎)

まったくつまらない駄洒落である。しかし必死だったのだ。何とかこの張りつめた雰囲気を和ませよう、子供の浅知恵だが、そんなことでもしないといたたまれなかった。

父親も母親も薄く笑ってみせたが、空気は変わらない。

もうどうしていいかわからなくなっていった。

少し話が横道に逸れる。

子供の頃「ウィークエンダー」という番組があった。漫画家の加藤芳郎が司会で、桂ざこばが桂朝丸という名前で出ていたのをおぼえておられる方もいると思う。自分が見始める前には横山やすしや泉ピン子もレポーターとして出ていた。

番組が中盤にさしかかった時、毎回必ず再現VTRのコーナーがあった。再現VTRとは事件をドラマ仕立てで文字通り再現する。扱うのはエロネタから悲惨な事件まで様々だが、出てくるのが無名の役者ばかりというのも手伝って、やけにリアルで、子供が見るには刺激が強すぎる代物だった。

それでも毎週見ていたのは、大人の世界の覗きみたいという好奇心からであろう。

家族で中華料理屋に行った数週間前だと思う。「ウィークエンダー」の再現VTRで一家心中を取り扱った回があった。

つまらない駄洒落もむなしく響き、身動きが取れなくなった自分の頭に、この再現VTRがよぎっていった。

一家心中・・・・?

必死で想像を打ち消そうとした。しかしいくらあがいても「一家心中」という言葉が頭から消えない。

いや、大人になった今だから余計にわかる。あの不自然な空気、まったくもって一家心中直前の家族の様子そのものではないか!

まぁ本当にそうなっていたら今こうしてこんな文章も書いてないわけで、結局何事もなかったかのように家路についた。

その日から約半年後、両親は正式に離婚した。

もう一度、最初の母親の言葉を書く。あなたは父親になついていた、と。

そしてこうも書いた。両親の離婚はある種の恐怖心の消滅だと。

そういうことだったのだ。たぶん自分は父親になつくような行為をしていたのだろう。それはけして情愛からではない。はっきりいえば怖かったのだ。

殴られるとか叱られるとか、そういう怖さとは次元が違う。適度になついたり甘えたりしなければ、自分はこの世にいられない。そう考えて、いや考えたんじゃなくて、無意識の行動だったのだろう。

あの時父親が何を考えて家族を食事に連れ出したのか、そしてあの時の出来事が現在の自分にどういう影響をもたらしているか、どちらもよくわからない。

でもひとつだけわかることがある。自分はどんなことがあっても、最後の晩餐には若鶏の唐揚げは選ばないということだ。

それはいくら今の自分が唐揚げが好きだからといっても変わることはない。




2008年9月28日日曜日

クソ真面目



どうも自分は真面目人間らしい。

友人Eからいわれたのだが、まったくピンとこない。自分ではいい加減この上ない人間だと思っている。

部屋はいつもちらかっている。ほっておいたら何日も食器を洗わない。仕事なんかしなくていいなら、一生遊んで暮らしたいと思っている。

辛いことが嫌い。疲れることが嫌い。楽なように楽なように物事を持っていこうとする。

気分が乗るとものすごいスピードで何でもやるが、乗らないとまったく何もやる気がおきない。

こんな人間のどこが真面目なのだろう。

Eが自分を真面目だと評したのは初めてではない。ちょっと考え方が合わない時に、すぐに言葉を吐く。それって真面目に考えてしかるべき問題じゃね?って思うこともしばしばだ。

Eとのつき合いもかれこれ10年になる。Eと親交を深めるきっかけは、過去ログの「変人はつらいよ」を読んでいただければわかるが、まぁEは自分のことを本当に理解してくれる人のひとりであるのは間違いない。そのEが真面目だというのだから、たぶん真面目なのだろう。

会話の続きで「では不真面目なのは誰か」とEに問うた。すると「Rじゃないか」と、Rの話をはじめた。

Rは自分とEの共通の友人である。つき合いの長さはEと似たようなもんだが、Rは自分より10歳も若い。だからいわば後輩にあたるわけだが、職種も違うし、学校や職場から発展した関係でもない。

Eが不真面目と評したRは、一見どこからどう見ても真面目人間に見える。Rが個人事務所を立ち上げる際、社名をEを含めた三人で話し合ったことがあったが、自分は「オフィス・クソ真面目」はどうか、と提案したぐらいだ。もちろんジョークで。

Eとのつき合いが10年になるということは、Rとのつき合いも10年になるわけで、その間、いろんなことがあった。

仕事の相談にものったし、恋愛の相談にものった。むろんたいしたアドバイスができるわけではないが、せめて話だけでもちゃんと聞いてあげようと思った。そういう「ちゃんとしてあげなければ」というムードを持っている男なのだ、Rは。

あれは二年ほど前だったか。様々なことが重なり、Rと険悪な雰囲気になったことがある。

Rは自分にたいしていいたいことがいっぱいあったようだった。自分もRにいいたいことがいっぱいあった。ことが終わってひと月ほど経った頃、激論を戦わせたが、物別れに終わった。というか、仲違い寸前までいった。

Eを介してRのことはちょくちょく聞いていたが、会うこともなく、電話することもなくなった。

その後、Eの仲介でRと会うことになった。

Rは深刻な問題をかかえており、自分との間にあったいざこざはどこかに吹っ飛び、「深刻な問題」の話に終始した。

いきがかりを捨て、というとオーバーだが、真剣に悩むRを目の前にして、こっちも真剣に耳を傾け、自分なりの意見をいった。

今から三ヶ月ほど前、不意にRから電話があった。

昔と変わらず明るい口調だった。あいかわらず冗談はつまらないが、それでも自分はRの気持ちがうれしかった。

いいヤツなんだよ、Rは。いろいろあったけど、何かあると心配してくれる。そういうヤツなんだ。だから自分もRが好きだし、ついかまってしまう。

時にはうっとおしく感じる時もあるだろうと思う。でも、まあ、それも含めて自分なんだ。ちょっとだけ我慢してくれないかね。

ホームパーティーをやった話はこの間書いた。Rは夫人を伴ってきてくれたのだが、ほんの少しだけど、Rとふたりで話す時間があった。

この間誕生日で、40歳になった、という話をした。するとRは「僕も30歳になったんですよ」と云った。

そうか、ちょうど10歳違うわけだから、そういうことになるのか。

「30代は早いぞ、あっという間に40になる」と実感を込めて話した。そんな何千年前からの繰り言を、Rはちゃんと聞いてくれた。

「でも僕、30代が楽しみなんですよ。ずっと30代になりたかったから」

楽しみ、か。いや、楽しめ。気楽すぎる気もするけど。

話を戻す。自分は真面目人間、そしてRは不真面目人間か、という話だ。

真面目人間といわれるとアレだが、神経質、または理屈っぽいといわれると、自分は間違いなく神経質であり理屈っぽい人間だ。

細かいところに気がつく代わりに、過剰に遠慮がちになったり、些細なことでイライラしたりする。その結果、人を遠ざけたりもする。

Rは正反対とまでいわないまでも、少なくとも神経質な人間ではないし理屈っぽい人間でもない。もちろん「深刻な問題」に直面すれば真剣に悩むが、基本はおおらかで、根っから明るい。だから誰からも好かれる。反面、かなり鈍感なところもある。

もし<真面目=神経質・理屈っぽい>、<不真面目=神経質ではない・理屈っぽくない>という意味でEが云ったとするなら、当たっているのかもしれない。

自分は真面目だ。言い切るにはまだちょっと自信がないが、とりあえず納得することにする。そしてRは不真面目だ。だからこそ、真面目な自分はRが心配だし、不真面目なRも自分を心配してくれるのではないか。

だけど、まあ、Eがこの日記を読んだら「真面目な人だなぁ」というのだろう。自分もEもどっちもどっちだと思うが。




2008年9月27日土曜日

悪魔の結託

女性は悪魔である。異論は一切認めない。
「え~、女性は天使ですよ。たとえば私」なんていうヤツは、おそらく一番タチの悪い悪魔だ。
しかし、悲しいかな、悪魔と知りつつ女性に魅せられていく。そして最後には、やっぱりヤツも悪魔だったんだ、と再認識させられることになる。
とはいえ悪魔もひとりだとかわいいものである。もちろんひとりでも酷いのはいるが、たいていの女性は、キャンディーズの歌の如き(古いね)「かわいい悪魔」なのである。
が、悪魔が本性を発揮するのはツルんだ時だ。これはコワい。
たとえばあるグループの中で、ひとりの女性と揉めたとする。別に艶っぽい話でなくてもいい。たわいのない口論で充分だ。
そうするとその女性は、同じグループの中の女性に相談する。それが広がっていく。尾ひれも背びれもいっぱい付随していきながら。
かくして自分は女性陣から総スカンを食らう、という事態に発展する。
きっと男性なら大なり小なり、そういう経験をしたことがあるのではないか。

実のところ、自分は二回もこれを経験している。いずれも場所は会社。ふたつの会社で同じようなことが起こった。
一度目は、これが不思議な会社で、内勤は自分以外すべて女性だった。まるでハーレムみたいだが、正直まったく恋愛の対象じゃない人たちばっかりで、しかも全員因循な感じであった。
最初はそれなりに順調だったが、ま、最初はたいがい順調なものだが、自分のとある仕事のミスをきっかけに、どうも空気が変わってきた。
そのミスも、詳しくは書かないが、今考えると自分のミスだとは言い難いものだったのだが、何かすべての原因がこっちにあるような態度を「全員」がしてきた。
それ以降も基本的には同じで、やりにくいこと甚だしかった。
別に悪魔たちが原因ではなく、まったく別のことが原因でその会社を辞めたが、次の会社でも同じようなことが起きた。
ここも同じく最初は順調、しかもわりとトントン拍子にそれなりの立場になることができた。
それなりの立場になったということは部下ができるというわけで、何の因果か、全員が女性であった。
面接は自分が担当していた。本当は男性がほしかったのだが、これがろくなのがこない。一度かなり無理矢理ひとり男性を入れたのだが、これが相当の問題人物で、遅刻を毎日のように繰り返し、それ以外にもあまりにも問題が多かったので、クビにするしかなかった。
面接で使えそうなのはすべて女性ばかりであった。しかも採用した女性は皆、それなりに仕事をこなした。

自分はテンパる癖があるようで、どうしようもなく忙しい時にノロノロやってる部下の女性を、かなりキツイ口調で叱った。
どうもこれがマズかったらしい。
これ以降はさっきの話の繰り返しである。

悪魔は結託する。まぁそれはしょうがない。しかし文句があるなら自分に直接いえばいい。悪魔はそれをしない。自分の上司に、いわば直談判してくる。
これをされると完全に自分の立場がなくなってしまう。向こうは「どうせ話なんか聞いてくれない」というが、話ぐらいは聞くに決まってる。話しづらい、というのがわかるが、直談判されると間の人間がどうなるか想像がつかないのだろうか。

しかしそれも悪魔の悪魔たる所以だろう。結託することによって、まるでゲッターロボ(どうも古いな)のように、どんどん巨大化した悪魔になる。
だから悪魔がいっぱいいる職場は苦手だ。しかし悪魔自体が嫌いかというと、やっぱり嫌いになれない。どうもその辺が自分の弱いところかもしれない。

2008年9月26日金曜日

隔離



もっとも酷いバイトの話を以前に書いたので、今回は「もっとも危険なバイト」というテーマで書こうと思う。

危険なバイトというと必ずでてくるのが「ホルマリン漬けの死体を洗うバイト」。やったことがあるヤツに出会ったことがないし、そもそも実際にそんなもんがあるのがどうかわからない。

もうひとつ「新薬の人体実験」というものがあるが、これは本当にやったことがある。

その時のことは口外しないように誓約書まで書かされたのだが、だいぶ時間がたってるし、詳細に触れなければ大丈夫だろう、という判断で書かせていただく。

1996年の話だ。いや、テストには1995年からいってただろうか。

新薬の人体実験といっても誰でもできるわけじゃない。どういうルートでそういう話がきたのかは忘れたが、とにかくそういうバイトがあるということで、まずはテストを受けに行った。

テストといっても難しいことをするわけではない。要するにかなり詳しい身体検査をする。実際に新薬の実験を行っても大丈夫かどうか調べるわけだ。

この身体検査、かなり厳密なもので、後年になって会社の身体検査を受けたが、あんなもん子供の手遊びみたいなもんだ。それぐらいちゃんとしていた。

おまけに身体検査を受けるだけで、わずかばかりの謝礼も発生する。これは貧乏な当時の自分にはかなり助かった。

が、なかなか本戦(人体実験ね)には入れない。どうも白血球の数がどうちゃらこうちゃらという問題があったらしい。

何度も何度もテストを受けて、あきらめかけた頃になって、二泊三日の短期間のコースに入れることになった。

入所は夕方からで、その日の夕食にはステーキがでた。さすがにステーキはその時限りだったが、食事はどれもおいしく満足できた。

が、食事は朝・昼・夜の三回のみ。間食も一切できない。ドリンクも備え付けのお茶しかダメ。途中外出はいかなる理由があろうとも厳禁だった。

起床後は何度も何度も採血と血圧を測られる。それが午前中まで続く。

こう書くと不自由きわまりないが、後は何をしようが自由である。その建物の中にいる限り、寝てようが、漫画を読んでようが、ゲームをしてようが、テレビを見てようが、かまわない。

さすがに長期コース(10日間)ともなると外出できない不便さから苦しくなるようだが、二泊三日ぐらいだと、まったくもってどうってことはない。

ここで簡単なQ&Aを。

・ギャラがいいときいたけど

よくこういうバイトはギャラがいい、というが、実はそれほどでもない。時給にすると全然たいしたことがないのだが、24時間分支払われるのでかなり大きな額になる、というわけだ。

・新薬の危険性は

実はこれがよくわからない。一応説明してくれるのだが、こっちに薬物についての知識があまりない以上、それがいったいどれほど危険なものなのかの見当がつかないのだ。

動物実験済みであるのはいうまでもないが、人体への投与は初めてなわけで、後遺症がでないとも限らない。やはりそれなりの自己責任が必要ではないか。

さて記憶力の悪い自分がはっきりと「1996年の話」と書けるのは、ちょうどアニメの「こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)」の第一回の放送を、入所中に見たからだ。

とにかく入所中はヒマなので、館内には漫画の本が山ほどおいてある。とくに「こち亀」はほぼ全巻揃っており、それまであまり読んだことがなかった「こち亀」を一気に読んだ。

この時たまたま友人も入所しており、漫画に飽きたらその友人と話をした。

「両さんの声、ラサール石井らしい」、「どんな風になるかまったく見当つかんな」と結局「こち亀」の話になる。そしてまた漫画の「こち亀」を読む、といった具合だ。

詳細を書かなければ大丈夫だろう、とは書いたが、本当のところ、細かいことはあまり覚えてないのだ。覚えているのは「こち亀」に関することだけ。何しろこの漫画を読んだのは後にも先にも、この時だけ。

だから「新薬の人体実験ってどんな感じなんですか」と聞かれれば、突然狂ったように「こち亀」のことを話す。でもそれはけして新薬の副作用ではない。

2008年9月25日木曜日

狂人ゲーム



友人のE宅に行くと、部屋にこもって遊んでいる。

40前後の男どもが何をやってるかというと、延々ウイニングイレブンというサッカーゲームをしている。

しかしそれは「ゲームをしている」といえるのかどうか。

基本的にふたりともコントローラーを握っていない。試合中はただぼーっと見ているだけ。つまりはコンピューター同士に戦わせて観戦しているのだ。

しかも「ぼーっと見ている」と書いたが、実際には熱い歓声をおくっている。下手したら本物の、日本代表の試合を見ている時より熱くなってるかもしれない。

前はウイニングイレブンではなくベストプレープロ野球であった。

ベストプレープロ野球というゲーム、自分で操作はできない。監督となりサインを送ったりはできるが、それもやらない。

このゲームの最大の特徴、それは「名前を含む選手のデータを自由に変更できる」という点にある。

それを利用して全選手のデータを書き換えた。つまり全チーム、オリジナルチームで構成されているのである。

オリジナルチームのメンツは多岐に渡る。Eと関連のある人ばかりで集めたチームや自分と関連のある人ばかりのチームはもちろん、業者の人、芸能人やスポーツ選手、文化人をカテゴリ分けしてチームを作る。

その分け方がセンスの問われるところで、「こういう括りでチームを作ればおもしろいんじゃない?」という雑談の中から新しいチームが生まれていく。

しかも一チームあたり20人以上必要なわけだから、たとえばドリフターズでチームを作ろうと思っても足りない。そこで「荒井注は当然オッケーでしょ」、「坂本九も昔ドリフにいたらしいな」みたいな感じで埋めていくのだ。

ベストプレープロ野球は簡素きわまるグラフィックなのだが、だからこそ想像力が働きやすい。「おい、今の仲本工事、片手でライト前まで運んだぞ」みたいに。もちろん画面ではそんな細かいことは一切表示されていない。

これが5年ほど続いたろうか。EがPS2を買ったのをきっかけにウイニングイレブンに変わった。

ウイニングイレブンはベストプレープロ野球と違って自分で操作できる。しかしこれまた「選手のデータを自由に変更できる」という特色を活かしてイジりにイジりまくっている。野球ゲームからサッカーゲームになっただけで、結局やってることは変わらない。

しかもこのウイニングイレブン、時代が時代なだけに美麗なグラフィックなのだが、それに合わせてモンタージュ形式で「顔」も作ることができる。

Eは完全に職人のようになっていて、パーツが用意されておらず、通常非常に難しいとされる女性の顔まで作成できるようになってしまった。

顔だけでなく当然身長なんかも設定できるわけで、デカい人はデカく作れる。さきのドリフチームでいえば「じゃキーパーはジャンボマックスだな」みたいなことも可能になった。(もちろん制限があるので本物のジャンボマックスよりはだいぶ小さいが)

楽しそうでしょ?え、楽しそうじゃない?いったい何がおもしろいのかわからない?

うーん、やっぱりそうきたか。実際こんなに理解されない遊びも珍しい。Eなんか高校生の時からこういう遊びをやってみたかったが、誰も同調してくれる人がいなかったというし。

しかし、ひとりだけわかってくれそうな人がいる。といってもリアルの知り合いではない。

130Rの板尾創路氏だ。

さすがにオリジナルチームでやってるかどうかは知らないが、この人も野球ゲームでコンピューター同士に戦わせて観戦しているという。

おそらく自分たちの「遊び」に何の抵抗もなく、ふつうに入ってきてくれそうな気がする。とはいえ板尾氏と知り合いになる術があるわけではないが。

実はもうひとりいる。これまたリアルの知り合いではなく、しかもすでに故人だが。

その人とは、作家の色川武大氏。阿佐田哲也名義で「麻雀放浪記」を書いた、といえばピンとくると思う。

この色川氏、生前に対談でこんなことを告白している。

(以下「恐怖・恐怖対談」より引用)

------------------------------------------------------------------

いつごろからか、カードをつくる癖がつきましてね。相撲でも野球でも、代議士でも、とにかく人の名前が利用できるものなら何でもいいんです。カードをつくりまして、トランプ類とかサイコロとかで一定の方式をつくって勝負をやらせたり、ゲームをやらせたりするわけです。

------------------------------------------------------------------

いわば遊戯王などのハンドメイド版か。しかしこのハンドメイドという行為が限りなく自分たちのやってる「遊び」に近い。つまり自分たちのやってることは、このカード遊びの二十一世紀版というかハイテク版なのかもしれない。

それにしても、色川氏-板尾氏というラインの延長線上に自分たちもいるのだとすると、やはり自分もEも「かなりの変人」ということになるのだろう。

板尾氏がどういう人かはおなじみだと思うが、色川氏はもっとすごい。どこがどうすごいのかは数ある著書を読んでもらうのが一番てっとり早い。自身をモデルにした「狂人日記」といった書名をみるだけでも、ふつうの人とは全然違う。

たしかに自分たちのやってることは変を通りこして「狂」の部類に入るのだろう。だからこそ誰にも理解されなくてもしょうがない。だって板尾氏や故・色川氏のような人とやすやすと知り合いになれるわけがないわけで。

しかし、ウイニングイレブンの発売元であるコナミにだけはわかってほしい。何でかって?だってコナミがわかってくれたら、もっと顔のパーツを増やしてもらえそうだから。




2008年9月24日水曜日

犬に飼われた猫



この間は個人で飼っていた猫の話を書いたから、今度は実家で飼ってる猫について書く。

震災の時、母親が犬も連れて大阪へ疎開していた、とは前回書いたが、この犬、この時点で15歳ほどだったからかなりの老犬だった。

もうだいぶ足下がおぼつかなくなっていたが、それでもそれなりに元気で食欲も旺盛だった。しかし震災で車で連れ回され、たとえ一週間とはいえ見知らぬ土地で暮らしたのがよほど堪えたと見え、これ以降急速に老け込んだ感じになってしまった。

結局震災から半年後に、この犬は死んだ。自分が中学に入る頃にもらわれてきた犬なので、思い入れも強く、たいそう悲しかった。

しかしもっと悲しんでいたのは母親だった。いわゆるペットレス症候群というヤツである。そしてそれから半年ほど経ったころ、保健所から一匹の小型犬をもらって帰ってきた。

もう自分はすでに実家に住んでいなかったし、母親が何をしようが勝手なのだが、正直この犬が好きでなかった。

もともと小型犬をあまりかわいいと思えないのもあるが、母親の溺愛が酷く、こっちが愛情を持つ隙がないのが大きかった。

この小型犬をもらってきて、さらに半年経った頃、”犬が猫を飼い”だした。

嘘でも誇張でもなく、本当に犬が猫を飼い始めた。経緯を詳しく書きたいが、あとで電話で聞いただけで、その場にいたわけではない。自分が聞いた範疇で書く。

母親が小型犬を散歩させていると、一匹の子猫が寄ってきた。どうも捨て猫らしいが、母親にではなく「犬」についてきた。

あんまりしつこく犬に寄ってくるので、まあいいか、ということで実家で飼うことになったらしい。

とはいえ餌は母親があげてるわけだし、トイレだってそう。

しかし断じて飼い主は母親ではなく、犬だった。それは実家に帰った時に嫌がうえにでも認識させられた。

とにかくこの子猫、すべて犬に右へ倣え、なのである。

後をついて行くのはもちろん、犬が喜ぶ人には自分も懐く、犬が嫌がる人は自分も逃げる、といった具合で、寝るポジションからくつろぐ場所まで、すべて犬の真似をしていた、といっても過言ではない。

挙げ句、散歩にまでついてくる。所詮猫だから行動範囲から外へは出ないが、範疇のぎりぎりまでついていって、散歩から帰ってきてもそこで待っており、一緒に帰ってくる。

だから何だか、およそ猫らしくなく、犬が二匹いるようなもんだった。

三年前、小型犬が死んでから猫の様子が変わった。何しろ飼い主が死んだのだ。おそらくどうしていいのかわからなくなったのだろう。

とにかく狷介になった。今までふつうに接してきた近所の人から逃げるようになった。大丈夫なのは母親と自分だけ。不思議なのは、この猫とまったく一緒に暮らしたことがない妹も大丈夫だったそうだ。何かわかるのかねぇ。

どうも狷介になった理由は、飼い主である犬がどこかに連れていかれたと思っているぽい。だから身内以外の人間に異様な警戒を示すようになったのではないか。

ただ狷介になったのと同時に、猫らしい行動が増えた。

全然甘えてこなかったのに、ゴロゴロいいながらすり寄ってくるようになったし、それまで家のどこかで寝ていたのが、今では母親と一緒にベッドで寝ているようだ。

おそらく今でも飼い主の犬が帰ってくるのを待っているのだろう。いくら猫らしさが出てきても、やっぱり母親を飼い主の飼い主にしか思ってないっぽい。

天気がいい日はひなたぼっこをしている。ずーっとしている。まるで何かを待っているように。

でもな、お前さんの飼い主はもうこの世にいないんだよ

見てただろ?飼い主が死ぬところを

しかしあれだ、安心しろや

誰もお前さんをどこかへ連れて行ったりはしないから

のんびりとな、身体だけは気をつけてな

何しろお前さんは病院嫌いだからな

また気が向いたら甘えてくればいいからさ

まあ、猫らしくても猫らしくなくても

飼い主が誰でも、そんなことどうでもいいや

とにかくさ、まだまだ生きてていいんだよ

お前さんがもういいって思うまでな