2009年1月9日金曜日

「封印作品」作品の技量

読ませる文章、とはどういうものなのか、考えると夜も眠れなくなる。

ついこの間「封印作品の憂鬱」を読了した。
「封印作品の謎」も「封印作品の闇」も両方面白かったので、「憂鬱」もあわてて買ったのだが、とにかく読ませるシリーズである。
これまでも封印されたテレビ番組、映画、レコードにスポットをあてた本はあったが、どれもコラム的な紹介にとどまり、読むというより眺めるという体のものばかりだった。
しかしこのシリーズは違う。松本清張の「日本の黒い霧」を彷彿させるような"煮詰め方"で、しかも驚くほど読後感がいい。
扱う題材が題材なだけに、一歩間違うと不快感を催したり、どうしても謎解きが完遂できない時には消化不良をおこしたりしそうなものだが
このシリーズはそういうのを一切感じさせない。
自分のようなものがいうのは僭越なのだが、結局文章が巧みなのだ。
この手の本は大抵作者の思い入ればかりが強くて、それに文章がついていってないものがほとんどなのに
この作者はあえて「特別ファンではない」ものを取材対象として、一歩引いたところにいる。
だけれども取材は綿密だ。綿密な取材を重ねることによって、個人的な感情も露呈させていくのだが、それが読む側の気持ちを熱くさせて一気に読ませてしまう。

本当は自分もこういう文章が書きたいんだがね。テクニックの問題ですな。それを考えると自分より若いのにこれだけ読ませるテクニックを持ってる作者の安藤健二って人は本当にすごい。
これぐらい若くてこれだけの文章を書ける人を自分は他に知らない。

2009年1月7日水曜日

赤い編集

誰にとっても納得できる名場面集なんてあるのだろうかと考えると夜も眠れない。

こないだ撮りためた映画を消化せねばならんという話を書いたが、あまりにも骨が折れるためとうとう編集ソフトを買ってしまった。
DVDに焼いていくのはフリーソフトでもできるのだが、これが非常にめんどくさい。その点購入した編集ソフトはさすがに有料だけあって、手間も少なくて済むのがうれしい。
とはいえそれでも結構面倒なんだわ。それというのも、さすがフリーのものと違ってできることが多い。となるとどうしても少しは凝ったものにしたくなる。
しかしてこれまでと作業量は変わらないのであった。アホか。

よくよくレコーダを覗いてみると、肥やしは映画だけではなかった。ドラマなんかも結構な分量を占めている。
中でも去年TBSチャンネルでやってた「赤い嵐」を何とかしなければと思うとうんざりしてくる。
そう、そういうドラマがあったのだ。今から30年近く前の作品で、主演は柴田恭兵。制作は大映テレビ。
仮にこのドラマの存在を知らなくても、これだけ聞けば、どれほど濃厚で脂っこい内容か想像していただけると思う。
実は大映ドラマってのはあんまり好きでない。なのに保存しておこうと思ってしまったのは、柴田恭兵があまりにも面白かったからなのですな。
「あぶない刑事」以降の柴田恭兵しか知らない人には「あまりのキザぶりが面白いのかね」と思われるかもしれないが、違う。
文字通り、恐ろしいほどのコメディアンぶりで、信じられないぐらい笑わせてくれる。
顔はやっぱり二枚目だが、このドラマを見てると全然そう見えないんだからフシギだ。

奇妙なダンス、とんでもないセリフまわし。
能勢慶子との「しのぶちょあん!」「ばごどざん!(まことさん・能勢慶子のセリフ)」
緒方拳との異様としかいえない対決。どれも大映ドラマスパイスがたっぷりふりかかっている。

しかしあれなんだわ。ドラマとして、というかストーリーはどうでもいいんだよね。ただただ柴田恭兵の奇行が楽しいだけで。
だから名場面集でもつくって、こういう面白さを共有できるであろう友人に見せようと思うんだけど、これが大変すぎる。
「このシーンはいるな」
「長すぎたら逆に面白くなくなるぞ」
とか考え出したら、いつまでたっても終わらない。

初回放送から28年、再放送からでも一年近く経ってるのに、いまだに「赤い嵐」のことで頭がいっぱいな男なんて、自分以外に他に知らない。

2009年1月6日火曜日

や〜まだ

知ってることが多い方が発想の翼が広がるのか、はたまたまったく逆なのか、なんてことを考えると夜も眠れない。

昔、阪神タイガースに山田というキャッチャーがいた。キャッチャーとしてはともかく打者としては何とも非力で
貧打・阪神の象徴ともいえるような選手だった。
この頃まったく野球に興味のない友人とテレビ中継を見ていた時、彼はこの山田を指して
「彼はや〜まだと呼ばれているのか」と質問してきた。
ここでまた説明が必要になる。
「や〜まだ」とは「ドカベン」という野球漫画で、岩鬼なる八方破れの登場人物が主人公・山田太郎をこう呼ぶのである。
アニメにおいて岩鬼の声をあてた玄田哲章が独特のイントネーションで「や〜まだ」と発していたのをおぼえておられる方も多いと思う。

自分はプロ野球編でもスーパースター編でもない「ドカベン」は大好きだったし、プロ野球は今もって大好きだ。
だからこそ阪神の山田とドカベンこと山田太郎がつながらない。
たしかにキャッチャーという共通点はある。だが恐ろしいほどの打撃がウリの「や〜まだ」と打率二割すら危うい阪神の山田とは
イメージがあまりにもかけ離れている。

自分にとってはとんでもない質問をした友人は野球は知らないに等しいが、おそらくアニメのドカベンは見ていたのだろう。
知識が少なかったからこそ「名前が山田でキャッチャーをやってるならニックネームはや〜まだだろ」と思ったに違いない。
そう、これぞまさしく知らないからこその発想なのだ。
よく「童貞のうちが花だ」なんていう。知ってしまうととたんに性にたいしての想像力が落ちてしまう。
じゃあ何にも知らない方がいいのかというと、知らなすぎると発想が似たようなとこでグルグルしそうな気もするし
さっきの話でいえば「ドカベン」に関して多少なりとも知識があったからこその発想ともいえるわけで。

しかし、あれだわ。さきほどの友人、野球に興味がないのに「ドカベン」見て面白かったのだろうか。
そんな人間は彼以外に自分は知らない。

2009年1月4日日曜日

レコーダの肥やし

たまった映画を本当に消化しきれるか考えると夜も眠れない。

正月だというのに今年はまだ一本の映画も観ていない。
劇場に足を運んでないことはいうにおよばず、DVDも借りてきてはほったらかし。
HDDレコーダにため込んだ映画も全然観てない。
観ないんだったら借りなきゃいい、録画しなきゃいいんだけど
TSUTAYAなんかに行くと突発的に借りたくなるし、DVDにもビデオにもなってない映画をCSなんかでやると「一応」と録画してしまう。
んで何を見てるかというと、映画を借りるついでに借りたリチャードホールだったりする。
どう考えても志しの高い番組だったとは思えないんだけど、でもシャレ山紀信と尾藤武のコントが好きなんだよね。

そんなことはどうでもいい。たまった映画をどう消化するかって話だ。
去年の年末に消化した一本に「若い季節」ってのがある。
大昔NHKでやってたバラエティドラマ(シットコムみたいなもの)の映画版だが、まあほとんどテレビ番組とは関係ないオリジナルで
監督はかの古澤憲吾。もうこれが古澤印100%の映画なんだわ。古澤憲吾らしすぎる映画。それだけでうれしくなってしまうフシギな映画だ。

いやいや、それもまあいい。問題はHDDレコーダの映画をどうやって消化するかだった。
いろいろ事情があって3月までに何とかしなきゃいけないのだが、さすがに視聴しきるのは無理だ。
けれども消してしまうのも惜しい。そうなるとDVDへ移すという作業が必要なのだが、これが果てしなくめんどくさい。
でもやんなきゃしょうがない。しょうがないんだよ。

しかし、なんというか、映画って娯楽のはずなのに何でこんな苦行をしなきゃならんのだ。こんな苦行を黙々とやってる人を自分は他に知らな・・・・いや、いっぱい知ってる。

ケータイ大喜利のコワさ

板尾の、あの鋭すぎるセンスは、いったいどうやって培われたのか、それを考えると夜も眠れない。

「ケータイ大喜利」は「やりすぎコージー」と出演者がカブっている上、「やりすぎコージー」に比べると、NHK制作ということもあってどうしてもヌルいイメージを持たれてる方も多いかもしれない。
たしかにこの番組はヌルい。ただしヌルいと同時に非常にコワい番組でもある。何がコワいといっても、板尾のコメントがコワいのである。
先々月のオンエアで、めっきりウケなくなった投稿者を揶揄する投稿がきた時、こんなコワいことをいってた。
「芸人でもそうなんですけどねぇ、イジられだすとネタがウケんようになるんよなぁ」
続けて
「長いですよ、抜け出すの」
コワい。コワすぎる。マジでやべえなというような表情でこんなことをいう板尾がコワすぎる。小便チビりそうになる。

自分は芸人ではないので真意の推測はやめる。しかしそういうことを実際に感じた芸人にとっては戦慄が走るような言葉ではないのか。
何度もいうが、たしかに民放のバラエティに比べると「ケータイ大喜利」はヌルい。今田耕司は司会者としてレベルの高い人なのでそういうことを感じさせない絶妙の配慮はしているが、それでもやっぱりヌルい。
板尾のコメントも基本的には甘口だ。けれども時々恐ろしいほど真意を突くような発言をする。
辛口や罵倒はいわれた側の人間も逃げ道がある。しかし真意を突かれたら逃げ場所がない。
自分のいうコワいとはそういうことである。

ヌルいのにコワい、という反比例するようなことを実現させている番組を自分は他に知らない。

2009年1月2日金曜日

やっぱり年の瀬は紅白

紅白の将来を考えると夜も眠れない。

大晦日は紅白と決まってる。もう面白いとかそんなのは二の次で、ある種の義務で見てる。
裏番組がどうとか関係ない。そんなの「笑ってはいけない」の方が面白いに決まってるのだが、それでも自分は紅白を見る。

紅白がつまらない要因を「みんなが知ってる、しかも今年流行った歌がない」とか「変に民放バラエティの影響を受けている。それが痛々しい」とかいかようにもいえる。
それもあるに違いないんだけど、そんなことより客席との温度差なんですね。
昔の紅白、昔っていってもいろいろあるけど、たとえば昭和40年代の紅白って今見ても面白いんだこれが。
といってももうこの当時から構成もノリもカビが生えてるんだけど、でも面白く感じるのは
客席に座ってる人が心底楽しんでいるのが伝わってくるから。まあ紅白もテレビの収録でありながら
ホールで行うライブでもあるわけだから、客ってのは非常に重要な要素なんだよね。
構成がどんなにつまらなくても、ギャグがいくら上滑りしてても、舞台と観客席が一体になったライブって、それだけで面白く感じてしまう。
だからね、NHKも観客全員サクラにしろよ、と思う。サクラの演技力が問われるけどさ。

そこまでやってうまくいく保証はどこにもないけど。実際うまくいった例を自分は知らない。

ことはじめ

本当にこのブログが続けられるか考えると夜も眠れない。

初めてブログなるものをやったのは2004年だったろうか。サイトそのものは2003年に始めたのだが
更新が面倒になって、途中からブログ形式に切り替えたのが半年たった頃だった。
凝り性なもので、やり始めるとどんどんエスカレートしていくのは悪い癖で
そのうちサーバ借りてブログシステム組み込むは、ドメインは取るは
内容も数回に分けて書くような長文になっていくは、まさに八面六臂の大奮闘。
おまけにスパムコメント&トラックバックが一日数百。
疲れたよ、ぼかぁ。疲れ果てたよ。
やりすぎということを知らないんだ。「こうしたらもっとよくなる」と思い立つと、もう止まらない。誰にも止められない。
仕事じゃないんだからさ、疲れるまでやっちゃダメなんだよ。
じゃあやめろよ、という意見はごもっとも。でもダメなんだな。
どうも自分は「何かをすると、聴くと、見ると、ひと事いいたくなる」タチなんだわ。
だからどうしてもそういう場が自分には必要なんですの。でも前のブログを復活させるなんて、失敗を繰り返せといわれてるに等しい。

もっと気楽にブログと向き合いたい。構想など立てずに思うがままをつらつら書き連ねたい。
そんなわけでこのブログをはじめることにした。
内容は雑多なものになると思う。いったい何のブログなんだと思う人も多いだろう。
しかしそれでいい。変に特化したものにしたら、また疲れるに決まってる。
だからジャンルというかカテゴリ分けもしない。とにかく気ままに書いていくことにする。

何にせよ、ふつうブログを新しく始めることは、もっと高揚感を伴うはずだ。自分も過去はそうだった。
しかし今回はそういうものはまったくない。微塵もない。絶望的なほどない。
ある意味ここまで後ろ向きな気持ちでスタートするブログを、自分は他に知らない。