2013年5月27日月曜日

凍結

一応こっちのブログはしばらく凍結します。
今後は
で書くことにしました。よろしくお願いします。

2013年5月21日火曜日

わかったこともあるのですよの続き

前回の続きです。
たった半年とはいえ、海外から日本を眺める、というのを体験できたのは本当に大きかった。自然と「日本とは」、「日本人とは」ってことを意識するようになったというか。
ひとつ強烈に感じたのは、日本人は真面目・勤勉というのは大嘘じゃないかということです。
ヨーロッパの人々にいい加減なイメージを持ってる人はいっぱいいると思います。アタシ個人もそう思う。しかし彼らは自分の意思で動いている感じがするんです。
日本人はそうじゃない。行かなきゃいけないから行く、やらなきゃいけないからやる、という感じというか。どっちでもいいよ、となると途端にやらなくなる。どっちでもいい=しなくていい、なんです。

さてこれから海外に滞在する方々にお勧めしたいものがあります。これだけは体験しておけ、その方がより話が広がるよ、みたいなものです。
ひとつは「ONE PIECE」。アタシもこっちにきて慌てて読んだのですが、まあよくできてるとは思うけどギャグがつまんないし、何より物凄く読みづらい。ハマったかどうかと聞かれると確実にハマってない。
けどヨーロッパでONE PIECEは強いです。イギリスはそうでもないけど。ルフィの絵でも描けようものなら一気に話が広がります。

もうひとつは、これはいわずと知れた(あくまでこのブログでの話ね)「水曜どうでしょう」です。滞在する場所にもよりますが、ヨーロッパに滞在する場合は特にヨーロッパ三部作は必見です。
別に海外の旅紀行番組でもいいのですが、水曜どうでしょうの場合、基本的に名所には行かないからね。だからこそダイレクトでその国の雰囲気がわかりやすいし、会話のネタになりやすい。つか「日本のテレビ番組で見たんだけど、本当はどうなの?」みたいな会話が作りやすいのです。
実際アタシはこれでベトナム人と会話のネタができましたし。

どっちみち相手は日本のことなんか何も知らない。知ってるのは寿司(アチラ流に発音すればスーシ)くらい。だったらこっちが部分的に知ってるその人のことを聞いていく方が楽だからね。つか質問に答えるより質問して聞く方が楽だし楽しいですからね。

2013年5月19日日曜日

わかったこともあるのですよ

フルーツポンチのネタではありませんが、海外に行って「自分が一回り大きくなった」錯覚ってのは、まあ誰にでもあるんじゃないでしょうか。
しかし大抵の場合は錯覚ではなく、絶対変わってると思うのですよ。日本にいるだけじゃ気付けないことに気付けるのも、やっぱり事実なんですね。

もうちょっと具体的に書きます。
大別してふた通り、ひとつは海外の空気と人に触れ合うことで気付くことってのがあります。
アタシもそうでしたが、初めての海外での滞在はストレスの連続です。まず言葉が通じない。語学には自信があるよってな人でも、より深い話になると太刀打ちできないと思うのです。
いや、そういう心理があるからでしょうが、大抵の日本人は日本にいる時の80%増しくらいでシャイになってしまう。日本では結構陽気で通ってたようなヤツでも、借りてきた猫みたいになる。それを続けると自分が入っていないコミュニティーがどんどんできる。するとますます萎縮する、という悪循環に入ってしまいます。実際こういう日本人はいっぱいいました。
アタシは発想をガラリと変えて立ち向かいました。
つまりは「旅の恥はかき捨て」って発想です。逆にドンドン恥をかいてやろうじゃないかと。これを続けることによって「全然喋れないくせにコミュニケーションはとれる」、はっきりいって奇異な感じになりました。
これから海外で生活しようという人に、もうこれだけはいいたい。
とりあえずノッておけ。絶対に斜に構えるな、と。

さてアタシの滞在していたロンドンは実に多民族です。イギリス人を見つける方が難しいくらい。当然友達になったのも、世界各国の人たちです。
正直ね、ヨーロッパの地図なんて全然把握してなかったのですよ。イギリスがあって、海をまたいでフランスがあって、その下にブーツの形のイタリアがある、本当にその程度しか知らなかった。
アタシはずっとオランダに行ってみたかったんです。一昨年初めてイギリスに行った時もイギリスなんかじゃなくオランダに行きたかった。なんたって敬愛するディック・ブルーナの国ですから。
しかし今はオランダに興味が全然なくなった。だってオランダ人の友達ができなかったから。
それよりイタリアとかスペインね。ここらは本当に行ってみたい。そしてなんと言ってもトルコ!こんなオモシロソウナ国だとは思ってなかった。
「あー、トルコ行きてぇなー!」なんていってたら昭和のオッサンみたいですが。
あとマリとかアルジェリアね。さすがに行きたいとは思わないけど、紛争のニュースとか見ると心配になるんですよ。アイツ、大丈夫かなって。

きっとね、こういう感情って日本にずっといたら覚えなかったと思うんです。「紛争?どうせ外国の話でしょ」程度で終わっていたと思う。実際そうだったし。でも今は違う。これも、大きくなったかどうかはさておき、立派な「変化」じゃないんですかね。
そしてもうひとつは・・・長くなったので続きは今度。

2013年3月29日金曜日

昭和のアイドル

アタシも40代になって何年か経ちましたが、今の今まで、アイドルってやつに興味を持ったことがただの一度もない。ま、今現在興味がないのは当たり前すぎますが、若い頃ね、10代の頃ですら、コンサートに行ったことがあるとかレコードを買ったとかそんなレベルはおろか、普通に可愛いと思ったことすらないのですね。
アタシは1960年代後半の生まれですから、世代的には松田聖子とか小泉今日子とか中森明菜とか、あのあたりのアイドルはピンズドなはずですが、誰もなんとも思わなかった。

あんな青臭いガキを好きになるわけないってことだよねってことでもない。中学生や高校生が若干年上の女性を青臭いと思うわけがない。そんな理由なわけがないのですが、じゃあちゃんとした理由があるかといえば、これが本当に何にもない。ただただ興味がないだけで。

そんなアタシがアイドルについて論じれるわけがない。無理矢理後付けの屁理屈をこねくり回して、だからアイドルなんて意味がない!なんていう気もさらさらない。
この話は前にも書いたかもしれませんが、大学の頃、他人の卒業論文を有償で書いたことがあって、テーマがアイドルだったんで自分なりに調べましたけど、ああいうのも思い入れがないからできたんですよね、今考えると。

さて、残念ながら写真をアップするわけにはいきませんが、アタシの知り合いに、もうどう見ても「昭和のアイドル」としかいいようがない見た目の子がいます。正確にいえば1980年代の女性アイドル。アタシは彼女を見るたびに、生まれる時間と場所を間違えてたら、本当にアイドルになれたかもしれない、と思うわけです。
時間はともかく場所?ってことですが、彼女は日本人じゃない。ベトナム人です。日本人顔なのか、といわれれば、ちょっと違うのですが、1980年代の女性アイドル顔か、といわれれば、もうまさしくその通り!というか他に形容しようがない。
具体的に誰?といわれると難しい。藤井一子とか、少女隊かセイントフォーにいそうな感じ、と書こうと思ったけど、そもそも最初に書いたように詳しくないからよくわからない。だからもう、誰とかという話ではないんです。
ただね、彼女を見てると何となくアイドルに入れあげる人の気持ちはわかる。なんというか、徹底的に未完成なんですね。子供でもないけど大人では断じてない。将来美人になるのかどうかすらわからない。そんな不安定さや脆さこそアイドルの必須条件なんじゃないかと思ってみたり。

そういやアタシの知り合いの友人(仮にAとします)はアイドルデビューしたもののさっぱり売れず、しかもあろうことか芸能界にまったく興味がなかったという、Aの妹がたまたま東京に遊びにいった際にスカウトされ大人気アイドルになった挙句、まだ人気絶頂だった時に過去にここのブログでも名前を出したことがある超大物と結婚して引退しました。(あんまり詳しく書くと特定されるんで曖昧に)
友人の話では、Aは高校の頃から華やかな人だったらしく、たいしてAの妹は非常に地味な感じだったといいます。
が、ある意味完成されていたAは売れず、地味で未完成だったAの妹は売れた。もちろんアタシがフィルターをかけている可能性もありますが、完成未完成は「アイドル」になれる分岐点なような気がするのです。
つまりアイドルはプラモデルでなければいけない、のではないかと思うのです。
何となく上手く言えた感じなのでこの辺で。

2013年1月31日木曜日

フータくんという分岐点

さいきんは「え?なんでこんなもんが?」みたいなもんまでCD化されており、まあそういう意味ではありがたい時代なんですが、ソノシートでしか発売されなかった「フータくんのうた」までCD化されているのは凄いとしかいいようがない。
「フータくん」については旧yabuniramiJAPANで書きましたし、何より藤子不二雄A作品で一番好きだからね。ソノシートが発売されてたのはずっと前から知ってたんですが、この超レア盤はそう簡単に手に入らない。がCD化によって状況は大きく変わったというわけでして。

実際聴いてみると、もう泣けてくるんですよ。アニメ化の予定がありながら結局頓挫したっていう経緯もあって、ああ、もしアニメ化されてたらこんな感じになったんだろうなってのが浮かんでね。
しかもカラーで製作するはずだったから、少なくともアタシが子供の頃くらいまでは普通に再放送とかされてただろうし。

ここからは完全に「IF」の話になりますけど、もし「フータくん」が予定通りアニメ化されていたら、その後の藤子不二雄(F・A問わず)の置かれる状況って結構変わっていってたんじゃないかと思うんです。

一般の人が藤子不二雄モノと聞いて、まず思い浮かべるのは
現代日本の、ごく普通の家庭の、少し出来の悪い少年のいる家庭に、特殊な能力を持つ異性物が混入して騒動が巻き起こる
みたいな感じだと思います。これはフォロワーともいえる「まじかる☆タルるートくん」や「ケロロ軍曹」もこのパターンです。(「まじかる☆タルるートくん」は創作の経緯はフォロワーとは全然違うけど)
しかし第二次藤子不二雄ブーム、つまりコンビを解消して以降、F・Aともに作品の多様性がある程度認知されるようになりました。
FでいえばSF短編や「モジャ公」など。Aでいえば「笑ゥせぇるすまん」や「まんが道」などです。
が、もし「フータくん」のアニメ化が実現していたら、どうだったでしょう。
「フータくん」は藤子不二雄作品としてみても、A作品としてみてもかなり異端です。
後にAが得意とすることとなるブラックユーモア要素も皆無であり、ひたすらパワフルで、テーマも「お金」というストレートなもの、またキャラクター設定も主人公が小学生くらいの年齢でありながら学校に行っていない風来坊、風来坊であるから当然のように毎回舞台となる街が変わり、他のキャラクターは手塚治虫考案のスターシステムに基づいて毎回役回りが変わる、その他その他・・・。

もし、もっと早い、第一次藤子不二雄ブーム(「ウメ星デンカ」終了)の後の段階で「フータくん」という異端な作品が認知されていたら、やっぱり取り巻く状況は大幅に変わっただろうな、と思わざるをえないのです。つまり本人の意思ではなく編集部が、いわゆる藤子不二雄パターンでない、「フータくん」的なものを求めたのではないかと。
Aは当然「フータくん」に近い、バイタリティ溢れる主人公の作品を描いただろうし、もしかしたらFも男の子が単独の主人公の、異性物が混入しないパターンの児童向け作品を描いていたかもしれない。
しかし実際にはAは、放浪する男を描いた「さすらいくん」、流されるように生きる男を描いた「戯れ男」を描くに留まり、どちらも非常にマイナーです。(「さすらいくん」はずっと後にアニメ化されたから少しは知名度がありますが)

Fの「未来の思い出」じゃないけど、「もし「フータくん」が無事アニメ化されてた時」のパラレルワールドも見てみたい気がするのです。

2013年1月22日火曜日

ジョークの難しさ

最近つくづく思うのですが、ジョークの本質って、面白いか面白くないかじゃなくて、時と場所にマッチしてるかどうかじゃないかと思うわけです。
もちろん面白いに越したことはない。でもその判定をするのは自分ではないわけで、相手がどう感じるかがすべてです。いくら「な、面白いだろ?」と押し付けたところで、そしていくら相手が自分に合わせて愛想笑いをしたところで、本心まで、つまり本当に面白がってるかどうかまでコントロールすることはできません。
しかし時と場所はある程度コントロールできます。

どんな相手にでも、どんな場所でも、そしてどんな空気でも、笑わせられる鉄板ジョークなんて存在しない。
ごく親しい友達にはウケるけど、嫁や恋人にはさっぱりウケない。
会社の上司にはウケるけど、親や親戚には全然ウケない。
また
酒の席ではウケるけど、シラフではウケない。
深夜ならウケるけど、昼間にいってもまったくウケない。
他にも
言葉にするとウケるのに、文章にすると見事に面白くない。
ってのもあります。
はっきりいって「場」に合ってないんですね。そういう時はどんだけ面白いはずのネタでもウケるわけがないのです。
いや、笑いを誘発しないだけなら全然いいのです。しかし「場」を外したジョークは相手の怒りを買ってしまうことも多い。

そもそもの話になりますが、いったい人間というのは何故ジョークをいうのか。
人によって、場面によって違うのは当然ですが、大抵の場合は「場を和ませたい」ためじゃないでしょうか。(もっとはっきり「相手を大笑いさせたい」という意思がある場合は、ジョークの範疇を越えてギャグになる。親しい友人をウケさせたいとか、もちろんプロの芸人が発するのはジョークではなくギャグですね)
せっかく和ませようと発したジョークのせいで、逆に空気が悪くなる、なんてことは珍しくありません。
前に「毒舌による笑いが一番難しい」ってなことを書きましたが、素人は一切毒のないジョークを言え、とかいってんじゃないんですよ。でも「場」を間違えた上に毒や皮肉を含んでいる場合は、まず相手が怒ると考えて間違いない。
いやね、特に文面上で毒や皮肉を含んだジョークを書くのは危険極まりない。対話上ならまだ相手の表情などから、あ、これはジョークだな、と察することも可能ですし、その場で確認することもできます。しかし文面でやられると即時に返すことができないし、意図も読み取りづらい。

アタシは「場」を間違えたジョークこそ最低のジョークだと思ってる。いくら面白くなくても場を間違えてなければ、少なくとも不快な気持ちになることはないのです。
人間だから場を間違えることもある。でもそんな時は素直に失敗したなと思ってくれてもいいんじゃないかね。一番タチが悪いのは、ジョークだよ、わかれよ、とか思っちゃうヤツ。
いやいや、ジョークにとって場ってもんが一番大事だとわかってないテメエが一番ジョークってもんを理解してないんだよ、バーカ!とか思ってしまうわけで。

2013年1月20日日曜日

アタシが始めて映画に出た日

俳優や監督に「あの映画はどんな感じだったんですか?」なんていう質問は定番です。要は裏話教えてってことなんですけど、こんな時「いやぁ、あの頃はメチャクチャ忙しくて、あんまり憶えてないんですよ」てな返答は珍しくありません。
そりゃ実際メチャクチャ忙しかったろうし、映画が作られたのが数十年前とかなら憶えてなくて当然なんですが、ファンとしては何となくガッカリしてしまいます。

さて、アタシは何度も書いてます通り記憶力が非常に悪い。だからもし数十年前の映画に出てたとして、その当時のエピソードを憶えているかとなると、たぶんほとんど憶えてないと思う。
いや、遡ること20年ほど前、一度だけ映画に出たことがあります。もちろんエキストラで。しかもいわゆるピンク映画。でも一応「映画」であることには変わりない。
そこで、実際どれくらい憶えているものなのかの実験として「もしアタシがこの映画について何か喋れ」となったとしての架空インタビューをやってみたいと思います。

ー映画に出たきっかけは?
「その前にね、これは完全にバイトですけど、カラオケ用のビデオに出たことがあるんですよ。ブキーマンが歌った「パチンコマン」の。たしか大阪の住之江にあるパチンコ屋で撮影したと思う。その時の監督がピンク映画の監督だったんです」

ーその縁でエキストラに呼ばれたと
「その辺ははっきり憶えてないんです。ただ大学の後輩が監督と知り合いだったんで、カラオケビデオの時もピンク映画の時も、後輩経由だったような気がする」

ーどんな内容だったんですか?
「何しろタイトルすら忘れたからね。憶えているのは新東宝系の映画だったってことぐらい。僕は東宝のファンなので、新東宝といえば、その当時はまったく関係ない会社とはいえ、過去に東宝から枝分かれした会社が母体になって作られたわけだから嬉しかったのは憶えてます」

ー主演が誰かとかも憶えてないんですか?
「憶えてない。まあ僕はピンク映画には明るくないから。ただ台本に同じエキストラとして、「プロジェクトX」のナレーションでお馴染みの、あの人の名前がありました。といっても撮影は別なので会ったわけじゃありませんが」

ー無名時代ですか?
「とんでもない。その時点でかなりの有名人です。おそらく監督の友人かなんかで特別出演みたいな感じだったんでしょうね。ちなみに僕の役名が「客H」で、その人は「客I」だったんで、僕の方が格上だと言いふらしてました(笑)」

ー撮影はどんな感じでしたか
「当日までどんなことするか、まったく知らなかったんです。それで現場に行ったら監督から開口一番「とりあえずシャワー浴びてきて」って(笑)。んで台本を渡されたんですけど、エキストラなのにけっこうセリフがあるんですよ。たしか5行くらいはあったはずです」

ーピンク映画ということですから裸ですよね
「そもそも何をするかすらわかってなかったからね。僕はその日、大阪にある某サウナでパクったパンツを履いていったんです。水色のデカパン。脱ぐとわかってたら、こんな小汚いパンツ履いていきませんよ。もちろん衣装用のパンツは用意されてたんですけど、監督がサウナのパンツを面白がって、それで撮影しようということになりました」

ーパンツ一丁での撮影
「ファッションヘルスの客役だから当然途中で脱ぐわけです。角度的に股間は映らないんだけど、一応前バリしてね。最初で最後ですよ、前バリなんてしたの。ところがこの前バリってのが実にザックリしたものでね。黒のゴミ袋を適当に切って、ガムテープで張り付けただけ。
まあ役柄的には股間を咥えられるんだけど、本当にフリだけだからオイシイことはまったくない。相手の女優さんも、いわゆるピンク女優じゃないし。でもフリだけでも顔を近づけて手を添えてユサユサはするんで、ありゃ、こりゃヤバい、くらいはなりました。フリだけでアソコの形が変形することほどみっともないことないと思ったから必死で食い止めましたけど。まあ当時は20代前半だし、目の前には下着姿の綺麗な女優さんがいるんだからしょうがないんだけどね」

ーそのシーンだけですか
「そのシーンだけです。でもその後に簡単なアフレコをやったんです。あ、これはいっておかなきゃいけないと思うんだけど、撮影はビデオテープじゃなくてフィルムです。しかも同録じゃないんでアフレコしなきゃなんない。といってもマイクに向かってセリフをなぞるだけなんですが。
ま、ピンク映画なんでセリフもとても恥ずかしいものです。それでも身体を動かしての演技をしながら、とかなら、まだ役に入っていけるからそれほどでもないんだけど、着衣の状態で、壁際に吊るされたマイクの前で「ああああー!そこだよそこ!」とかハイテンションで叫ぶのは、いろいろ難易度が高すぎました(笑)」

ー完成した映画は見た?
「見てるわけない。だいたいちゃんと完成したのかも、どこで公開されたのかも知らないし」

ー見たいと思う?
「今更見てもね。ただ当時の僕は、今の中年太りとは別人の、超がつくほどのガリガリだったんで、そこは見てみたいかな。何しろ裸だし」

ま、こんなもんですか。
お、意外と憶えているなってとこと、逆に何でタイトルすら憶えてないんだよってことが混在してますな。
しかしインタビューとか難しいわ。これはあくまで「架空」なんで、自分で設問を考えてるし、ゆっくり思い出しながら書けるし、オチまでつけられたけど、これをアドリブでやるのは至難の技だわ。
ああ、有名人というかインタビューされるような人間じゃなくて本当によかった。

2013年1月12日土曜日

エゲレスの食べ物についてザックリと

えと、アタシがイギリスに来て4ヶ月になるんですけど、たかだか4ヶ月程度でイギリスについてあれこれいうのは、いくらなんでも僭越なのです。
結構10年以上在英の日本人がいるわけでして、このわずかな期間に数人そんな人と知り合ったのですから、こりゃ相当数いるとみなしても間違いじゃない。ほらいうでしょ、なんとかは一匹見たら百匹いると思えって。あ、これはとんでもない失言。
どっかの国の大臣じゃないんだから失言繰り返してる場合じゃない。つまりは僭越は承知でイギリスというかロンドン、いろいろ書いていくとキリがないので食べ物限定で思ったことを書いていきます。

大半の人がイギリスと聞いて思い浮かべるのが「料理が糞マズい」ってことじゃないでしょうか。そうかね。
正直イギリス料理がマズいのかどうか、本当のところはよくわからないのです。代表的なイギリス料理であるフィッシュ&チップスに関しても、美味い不味いの前に、そもそも「味があんまりない」のです。だからそれに掛けるソースであったりタルタルソースだったり、はたまた塩の味しかしない。
あとこういう話の時に必ずネタにされる「うなぎゼリー」は食べたことはおろか、レストランでもデリでも見たことがない。まあ日常的に食されているものではないですな、間違いなく。
当たり前の話ですが、イギリスにいるからといってイギリス料理ばかり食べなきゃいけないわけじゃない。というか日本に住んでる日本人でもそうですが毎日和食ばっかり食ってるわけじゃないでしょ。それとおんなじで、街中には実にいろんな国のレストランがあります。

さて、ロンドンといえば世界有数の大都市です。しかも凄いのは世界中から人が集まってきています。まあいや多民族都市だといっていいでしょう。
つまり本国の人が作った本格的な世界の料理がわりとどこでも食べれれるわけで、これがどれもこれも見事に美味い。フレンチ、スパニッシュ、ターキッシュ、イタリアンなどヨーロッパ系の料理はもちろん、メキシカンなんかも本当に美味くて、ブリトーなんて某セブンイレブンで売ってるアレしかしらないアタシにとっては驚愕の美味さでした。
もっとも、たとえばイタリア人なんかに言わせると、ロンドンのパスタとやピザなんかマズくて食べられない、なんていうんですけどね。いやいや、十分すぎるくらい美味いよ!と思うんだけど(少なくとも日本にあるその辺のイタリアンの店とか宅配ピザとは比べ物にならない)、逆にいえば本場のパスタやピザとか、いったいどんだけ美味いんだ、と気になってしょうがないわけで。
もちろんレストランに行かなくても、セインズベリー(っていう大手のスーパー)のチョコマフィンなんか、え?マジでこの値段でこの味?って感じだし。

てなわけで予想外に食生活は充実しておるのです。「ロンドンなんてメシが糞マズくて」なんてしたり顔でいってる人がいっぱいいますが、お前何食ってたんだよ、とフシギに思うわけでしてね、ええ。

2013年1月6日日曜日

荒野の仮面ライダー

まあアタシは年齢的なこともあって、仮面ライダーといえば「ストロンガー」までしか認めてないんだけどね。いや認めてないわけじゃないんだけど、興味がないのはしょうがないっていうか。
んでたまにですけど仮面ライダーの楽曲をね、「レッツゴーライダーキック」から「仮面ライダーストロンガーのうた」まで聴いたりして。んでいつも思うんだけど、やっぱストロンガーで一気にテンションが落ちる。こと楽曲的なことだけをいえば「アマゾン」までかな。まあ「アマゾン」もイントロと「うぉーうぉずぉらにきくぇーーー!」ってとこまでなんだけね、カッコいいのは。
「ストロンガー」はどうも安っぽいというか、ギャバンとかシャリバンとか、あっちのラインに近い。何か仮面ライダーっぽくないんですよね。

じゃあどんなのが仮面ライダーっぽいかといえば、もう名曲中の名曲「ロンリー仮面ライダー」にトドメを刺す、それくらいこれはカンペキに仮面ライダーの世界です。
が、この名曲を何度も聴いていると、自然とあの曲が頭に浮かんだんです。もちろん「さすらいの口笛」です。
「さすらいの口笛」は黒澤明の「用心棒」をイタダいた(後に許可取ったけど)「荒野の用心棒」のテーマミュージックです。あのむせび泣く口笛と、「We can fight!」という合いの手で有名ですね。
「荒野の用心棒」はマカロニウエスタン(早い話がアメリカ開拓時代を舞台にした「イタリア製の」西部劇)のブームの火付け役となったわけですが、これが1960年代後半のことです。
仮面ライダーの放送開始が1971年だから意識したとしても全然不思議じゃない。いや、もう少し前には「ローハイド」や「ララミー牧場」がテレビで盛んに放送され、まだ人々の記憶に残ってたころだから、マカロニウエスタンだけじゃなく本場の西部劇も意識していたはずです。
(でもあんまり深く掘り下げないでアクションで魅せるというやり方は、やっぱりマカロニウエスタンの影響が濃厚だと思う)

さてさて「ロンリー仮面ライダー」に戻りますが、何故2コーラス目で唐突にサイクロン(=ライダーのバイク名)が出てくるのかと思っていたんだけど、これも西部劇という解釈ならわかりやすい。
つまりバイク=馬、なんですな。
孤独な男の移動手段であると同時に、唯一の友である愛馬。サイクロン号(つまるところ仮面ライダーにとっての愛馬)という固有名詞を出すことによって、余計にライダーの孤独が際立つ、というね。

と考えるといろいろ疑問は氷解するのですが、それでもひとつわからないことがある。それはこの「ロンリー仮面ライダー」がエンディングに使われた頃は思いっきりダブルライダーの頃なんだよね。普通の人間であるおやっさんや滝はともかく、ちゃんと改造人間仲間がいるじゃん、全然ロンリーじゃないじゃん、と当時から思っていたアタシは普通だと思うんだけど。

2013年1月1日火曜日

新年だから夢の話

あけましておめでとう。閉めましてさようなら。
今年はこんな感じで嘉門達夫のノリでいこうかと。
ってウソじゃーい!(後遺症)

さて、新年一発目なんで恒例の(恒例でもないけど)夢の話でも書きます。
というのはね、iPhoneでWikipediaをオフラインで読めるようにしてるのです、アタシ。まあ圏外が多いとこにいるからね。暇潰し用にね。
でも思うのです。もしこのiPhoneを子供の頃のアタシに時空を超えてプレゼントできたらどんなに凄いかって。いやオフラインで閲覧できるんだから、過去に持っていってネット回線がなくても見れるからね。
実際、子供のアタシにプレゼントしても活用方法がないか、意外と。じゃあ大学生くらい?うん、ちょっとした物知り博士くらいにはなれそうです。モテ指数が2%から4%くらいにアップはしそうだ。
でもちょっと小さいなあ。喜びを感じづらい。それよりもね。

たとえば中学生の自分に藤子不二雄アニメの主題歌がたっぷり入ったiPodを贈るってのはどうでしょう。
これはたぶん狂喜乱舞するはずです。何しろ当時は日テレ版ドラえもんの主題歌も聴いたことがないような時代だったんで。もちろんこないだ書いた「フータくんのうた」も入ってるし。しかも当時では絶対聴けない、後の時代に作られたのまで入ってるからね。
でも「F組あいうえお」は意味がわからんだろうな。なんだよF組ってってなるわな、当然。まさかコンビ解消してるなんて夢にも思わないだろうから。

これが大学以降なら、まあ藤子ソング満載のiPodでも嬉しいけど、狂喜乱舞まではいかない。そうなるとやっぱクレージーキャッツ関連の映像&音源かね。
となるとiPodでもiPhoneでもなく、やっぱiPadがベストになる。
iPadに入れておく映像は、まず東宝クレージー映画全作。実は現時点でも2作欠けてるけど、まあほぼ全作。いや、これでも十分すぎますよ。当時はまだ全30作中10作も見てない頃だから。
他に映像でいえばクレージー出演のテレビ番組関係かね。「植木等ショー」をはじめとする。「8時だョ!出発進行」なんか見たら卒倒しそうだな、当時のアタシ。
音源はもちろん全音源。大学生の頃にやっと「シングルス」とか出た程度だからね。「セガミ薬局のうた」とか聴いたらどう思うんだろ。
あ、クレージー関連で忘れていけないのは「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社刊)ね。何しろ自分の名前が載ってるわけで。(ステマタイム)。もっともこれは自炊しなきゃいけないけど。

ま、昔の自分を喜ばせるのもいいけど、それでも一言だけメモを添えたい。特に中学生の自分に。
「他の科目はどうでもええから、だまって英語だけはちゃんと勉強しとけ」って。できれば学校だけじゃなくて、ガイコクジンが直で教えてくれるような教室に通えって。そんな小うるさいメモを授けたい。
んでついでに、大学生の自分には「何でもいいから海外で生活してみろ」と。金なんか借りまくればいいいから行けと。まだ景気のいい時代だったしさ。
うん、お察しの通り、今の自分が楽したいだけなんだけどね。
何だかF先生のSF短編「自分会議」みたいになりそうでイヤなんでこの妄想は終わり。いや、自分会議のオチだけはマジで勘弁。
つか何で正月から鬱エンドのオチなんだ、このエントリ。違うって。夢の話だろって。違うなー、全然違うよ。違うわーい、大工さんが建てたんじゃーい!(長引く後遺症)

2012年12月31日月曜日

今年の締めくくりは何故か阪神

2012年もいよいよ終わりです。なので書き溜めたテキストではなく、新たに適当に書いてみます。
個人的にいろいろありすぎて、特に年後半はほとんどブログを更新できませんでした。ま、それはいいことでもあるんだけど。
んで、何を書くかというと、阪神です。ちょうど下降線をたどっていったのと、ブログの更新が滞りだしたのが同時期くらいだったので、いいたいことは山ほどあったにも関わらず何も書けませんでした。

いや〜、今年ほどつまんないシーズンはなかったな。暗黒時代より酷かった。もう「何だあの監督」としかいえない。だからいったんだ。あれだけは監督にしちゃいけないって。
ま、どんだけどうしようもない人間でもひとつくらい取り柄はあるもんで(やけに辛辣ですが、これでも抑えて書いているのです)、最後の最後にどでかいことをやらかしました。
そう、春夏連覇、甲子園無敗の怪物、藤浪を引き当てたんですから!
「阪神は育成が下手だから育てられない」とかいわれてますが、そもそもドラフトでこんな大物が入ってきたことがないんだから前例すらないわけで、上手いか下手かもわからない。
ただこれは間違いないと思うのですが、藤浪は勝手に育ちますよ。それは夏の大会を見てて、つまり阪神に入ることがわかってない時点でそう思いました。
正直いうとね、一回戦を見た時点では、ありゃって感じだったんです。春とあんま変わってないというか成長したようには見えなかった。
もっとはっきりいうと「甲子園に出てこなかった方が評価が上がったんじゃないか」とすら思ったんですね。
ところがこの投手は並の、毎年ひとりは出てくる類いの好投手でなかった。
試合を重ねるごとに悪い点が修正されていく。決勝なんか完全に悪いとこがなくなって、余裕すら感じたくらいです。
投手にとって一番大事なのは修正能力です。
短い大会期間中に全部修正できるのはただ事じゃない。もともと上背を活かしたポテンシャルはあると思ってたから、その上修正能力があり、何より勝ち方を知っている。
そういう意味では松坂を彷彿とさせます。決勝の余裕ぶりもソックリです。

一般にはダルビッシュ二世ってことになるんでしょうが、ダルとはタイプが違う。ダルは物凄いスピードボールを投げる変化球投手ですから。
藤浪は完全に速球投手ですもんね。角度のある150キロ超の球が低めにズバンと決まるっていう。あれは高校生は打てないよな。

しかしとんでもないのを獲ったもんです。しかも二位で北條でしょ。こっちは完全にロマン枠だけど、すげぇ楽しみ。てっきり二位は大学・社会人の即戦力だと思ってたんで腰を抜かしましたよ。マジでとんでもないいい指名っぷりです。

何てことを遠くロンドンの空の下で考えていたわけでしてね。どこにいようが、そしていくら監督がボンクラであろうが、やっぱり阪神のことは頭から離れません。
何故って?理由なんかわかるわけない。そういうもんなんです。

2012年12月24日月曜日

ブリッジ

はいどうも藪似です。ご無沙汰です。「ブリッジ」なんてタイトルですが、別に現在の滞在地とかけて「ロンドン橋落ちた〜」と歌いたいわけじゃありません。
前回の更新から間隔が空いたので、文字通りラグの橋渡し的なエントリってことです。

旅行ではなく短期とはいえ海外に滞在するというのは人生初の体験だったので、出発前の準備から、実際に住んでみてからもですが、とにかく「すり合わせ」と「トラブル処理」の連続でした。
アタシは予定を立てて、予定通りに滞なく物事が運ぶことにそこはかとない喜びを感じる、というタイプじゃありません。いつも何となくはじめて、気が向けば一気にガーッとやって、ノラなければいつまでも何もやらない、というタイプです。
が、さすがにこれだけのことだったんで、自分的には異例なくらい入念に準備をはじめたのですが、まあここまで上手くいかないとは思わなかった。
どうせ突発的なことがいろいろ起こるんだろってことはわかってたんで、かなり余裕をもってユルユルに予定を組んでいたのですが、それでもいつまで経っても準備が終わらない。
しかも出発の直前になってとんでもない事件まで勃発して、最後の3日間はほぼ寝れない状態、ということになってしまいました。
ロンドンに来てからもそうです。
英語が喋れないとか生活のリズムやスタイルに慣れるまで時間がかかるだろう、まあそれくらいの予想はしていました。が、実際は「え!そんな馬鹿な!」みたいなことが連発し、マジで心身ともにボロボロになりました。

そんな時アタシを救ってくれたのは、意外にも現地の人たちだったんです。
まあ大抵の人はそういうイメージでしょうが、イギリス人は、というかイギリスという国は(異様なまでに厳格なごく一部を除いて)本当にいい加減です。まるで昔の東宝映画のようなノリです。
だけれども東宝映画のノーテンキ・いい加減ノリが若い頃のアタシを救ってくれたように、イギリスという国の空気がトラブル続きのアタシを精神的に救ってくれたのです。
日本でもいろんなトラブルに巻き込まれましたが、トラブルそのものより、相手の事後処理のマズさ、応対の悪さで余計ストレスがかかることが多かったのですが、こちらでは本気で心配してくれたり、速やかに対処してくれたりで、むしろトラブルが起こったことによって清々しく、あったかい気持ちになったことが何度も何度もあったんです。
またとにかくみんな気さくで、これはTwitterにも書きましたが、行きつけのスタバの兄ちゃんまで顔と名前を憶えてくれ、気軽に接してくれたことによって、落ち込みかけた気持ちを持ち直したことが何度もありました。

自分は全然知らない国、なにより言葉を交わすことすら不自由な異国にいる、それはそうなんです。でも不思議とひとりぼっちという感覚は皆無なんですよ。それをいえば日本にいた時の方がよほど孤独感に苛まれていたといっていい。
でも日本はやっぱり好きですよ。日本には日本の独特の良さがある。
と同時にイギリスも好きです。こんだけトラブルがあってもね。だって救ってくれたんだもん。そう、あの時の東宝映画や植木等のようにね。

2012年10月24日水曜日

ネット社会の威力

なんだか前回とは正反対のことっぽいですが。まあナントカとナントカは使い様ってことで。

そういえばアタシがイギリスに滞在することになったと聞いた友人がこんな反応をしました。
「今の時代、海外といってもドラえもんを連れて歩いてるようなもんだからなぁ」
ドラえもんとはiPhoneをはじめとするスマフォを指しているのですが、これは至言です。
その友人は20年ほど前にヨーロッパを周った経験があるのですが、当然その時代にはiPhoneなんてもんはない。だから全部ガイドブックや口コミで調べていったそうです。

たしかにiPhoneはかなり四次元ポケットの代わりをしてくれます。
一番わかりやすいのがGoogle翻訳をはじめとする翻訳アプリで、翻訳コンニャク寸前です。
どこでもドアはないけど、身体自体を移動できないことを除けば、ポケットの中にどこでもドアを入れているのと同じで、手紙は瞬時に届くし、顔を見ながら話すことだってわけない。
情報だってそうです。日本でさっき配信されたばかりのニュースをリアルタイムで読むことができる。
変な言い方ですが、インターネットにさえ繋がっていれば、自宅警備員と変わらぬ情報を取得できるのです。
(残念ながら自宅警備員ほど時間がないので取得できる総量は少ないですが)

ちょっと話は逸れますが、インターネットがない時代、テレビ中継もラジオ中継もないプロ野球の試合の速報を知りたければ、まあほとんど毎試合中継があった巨人戦を見るしかなかったのです。
短くて30分、長くて1時間に一回の割合でやる「他球場の途中経過」をひたすら待つしかなかった。
しかも速報といいながら全然速報じゃなくて、実はとっくに試合が終わっているのに「甲子園球場の阪神対大洋戦は7回の表を終わって3-2で阪神がリード。ピッチャーは・・・」ってくらいのタイムラグがあったんです。

まあそんな時代を経験してるから余計になんでしょうが、海外にいようが阪神の試合経過もほとんどタイムラグなしで知ることができるという、インターネット社会ってもんの威力を痛感しました。
もっとも今年はあまりにも阪神にたいして腹が立ってたから、経過もあんまり気にならなかったけど。

しかしこれは諸刃の剣でもあるんです。
便利にはなったけど言い方を変えれば楽になったともいえるわけで、「解読」という作業が必要なこっちのテレビを見たり新聞を読まなくても、いくらでも日本の情報を日本語で知ることができる。
水は低きに流れますからね。そりゃ頑張って辞書片手にMetro(ロンドンで無料で配ってる新聞。タブロイド版)を読むより、2ちゃんねるのまとめサイトを読んでる方が楽だし、頭にも入ってきやすい。
だからこそどうやって「日本語絶ち」をするかが重要になるわけで。とはいっても現実的には完全に絶つことは難しいし、頭を休めることも必要なんだけどね。

まあ今後その辺の話でもしていきます。

2012年10月23日火曜日

イギリスに滞在しているわけだが

唐突ですが、8月の末からイギリスに滞在しています。
そうです。前回iPhone5買ったよー、しかもSIMフリー版だよー的なことを書きましたが、つまりUK版を買ったわけです。

今回はそういうことを書こうと思うのですが、その前にひとつ言い訳を。
前回更新できなかった間に書き溜めたテキストを順次エントリする、みたいに書いたのですが、あらためて読み直すと、見事なまでに時流にそぐわないネタばっかりなんですね。
たとえば「今阪神は五割前後をウロウロしてますが」とか。いったいいつ書いてん!みたいな話ばっかりで。
しょうがないのでこれらのネタは全部ボツにします。今後流用する可能性はあるけど。

さて何のためにイギリスに滞在しているのか、けして遊びにきているわけじゃありません。とはいえいろいろややこしいので、まあ勉強しにきた、という表現にとどめておきますが。
んで何を書くかというと、いかにネットの情報がアテにならないかを書こうかと。
今回の滞在はそこそこ長いので、4月に一度、事前調査に行きました。
他にも在英の知人らに情報をもらいつつ、さらに足らないことや、わざわざ聞くまでもないことはネットで調べて準備をしたのです。
ところがネットの情報がいかにデタラメか、思い知らされることになりました。
といっても参考にしたのは某巨大掲示板などではなく、在英日本人のブログやSNS、生活情報を載せている企業サイトなどです。
ひとつ例をあげます。
とあるところにこんなことが書いてありました。
「イギリスではボールペンがものすごく高い。使い捨てのものでも高い。ですから日本からまとめて持っていくことをお勧めします」
大嘘でした。むしろ日本より安いくらいでした。おかげて大量に持っていったボールペンはほとんど無駄になりました。
イギリスはとにかく物価が高い、というのも事実とは大きく異なり、食料品などは日本よりも全然安いのにはびっくりしました。
もちろんこれは昨今の円高の影響もあります。数年前の基準(1ポンド=240円前後)だったとしたら約倍近くになるのですが、それでも日本と同じ、もしくはやや安いレベルなのです。
ただしロンドン市内の家賃は馬鹿高いです。現在のレートでもほぼ東京と同じくらいといえばわかってもらえるんじゃないでしょうか。
ですから物価に関してはネットの情報が意図的に嘘を書いてとは思いません。
またあまりにも在英期間が長い人の場合、日本の物価の感覚が抜けてきている、というのもあるでしょう。

もうひとつ、日本では手に入りやすいけど、イギリスでは手に入りづらい、というものがあります。
これも正直ネットの情報にかなり振り回されました。
はっきりいえば生活必需品はほぼ何でも、どこでも買えます。そして値段はさっきも書いた通り、安いくらいです。
が、少し専門的なものになると途端に難しくなります。
たとえばこっちにはヨドバシカメラやビックカメラのような大型家電量販店がありません。ローカルまで足を伸ばすとそれなりの大型店舗はあるのですが、品揃えは日本のヨドバシなんかとは比べ物にならないレベルです。もちろん悪い意味で。
特にパソコン関係はヒドイもので、秋葉原はおろか、日本の地方都市レベルにすら及びません。
こっちに来た頃にmicroUSBケーブルを買おうとして、かなり探し回ったりしました。そんなもん日本ならどこの駅前でも買えるのに。
その反面、日本でしか手に入らないと思っていたものが意外とすんなり買えたりするのもフシギなところで、醤油やワサビなんかはどんなスーパーでも買えますし、お米の入手も簡単です。極端にいえば日本食材店に行けばほぼ何でも揃えることができます。もちろん値段は倍ほどしますが。

ま、このネタもアップした途端、単なる「ネットの情報」になるので、信用しない方がいいのかもしれませんがね。エントリして数日はともかく。
というわけで、もし検索でここにこられた方へ。ここで書いたことも、エントリの日付を見ていただいて、一年以上経ったら、無視して差し支えないレベルだとお考えください。

2012年9月25日火曜日

iPhone5を買ってみたわけだが

ご無沙汰しております。まあ何のかんの、いろいろありまして、ずっとブログを更新できない状態が続いておりました。
とりあえず書いたばかりのテキストを一回エントリしまして、その後ちょっと前に書き溜めた中から情勢にそぐわないものを除いてエントリしたいと思っています。

さていきなりですが、買いましたよ。iPhone5。しかもSIMロックフリー版。どこで買ったかって?そりゃもちろんAppleStoreのリアル店舗で。徹夜で並んでさ。
は?そんなもん売ってねーだろって?売ってないですよ、日本ではね。でも売ってる国もあるわけで。まあその辺のことはそのうちおいおいと。

そんなことより感想を書いていきます。
マップが酷さも酷しとか、そういうのはネット上にいくらでも書いてあるので割愛。もっと個人的な感想を書きます。
まずサイズです。アタシが以前使ってたiPhone4と比べてですけど、横幅は変わっていないんですよ。でも縦が伸びた。こりゃ結構デカく感じるんじゃないかと思ってたんですが、反対でした。
実際に並べて見ると幅はおんなじで縦が長い。そりゃそうなんだけど、iPhone5単独で持ってみると、縦の長さは変わってなくて、幅が細くなったように感じるのです。しかもやたら画面が大きく見える。目の錯覚なんでしょうが、実に上手く作ってるといえるんじゃないでしょうか。
もう一つは薄さです。とにかく薄い。今までiPhone4はカードが収納できるタイプの、それでもこのタイプとしては比較的厚みのないケースを使っていたのですが、それでも今見ると、よくもまあこんなに分厚いのを持ち歩いていたなと感じるほどです。

中身はというと、やはり速い。一番体感で違うのがFacebookの純正アプリで、ネイティブアプリになってからiPhone4でもそれなりに速くなったのですが、それでも遅かった。
でもiPhone5では本当にサクサクです。気持ちいいくらい。まあアプリの出来そのものには不満があるんだけど。

さて欠点ですが、どうもタッチの反応がおかしいというか、これは正式にiOS6に対応してないアプリの時に顕著です。やけに敏感だし、指一本で触っているのに指二本の動作をすることがままあります。
文字入力もそうで、フリックが誤操作することが結構あって長文になると意外と骨が折れます。
今試しにこのテキストもiPhone5で書いてるのですが、打ちミスばかりで書いては消しを繰り返しています。
これはiOSの問題なので、そのうち改善されると期待はしてますが。

これもiPhone5というよりiOSの問題なのでしょうが、iOS6からFacebook機能が統合されて、写真アプリから直接Facebookに投稿できるようになったのですが、どうも失敗が多い。エラーがでて、ありゃと思ってアプリから投稿すると失敗したはずの投稿がいってるという。
Twitterではこういうことはないんだけどねえ。

んで肝心のSIMロックフリーに関して何も触れてませんが、これもまたそのうち。まだ未確定なことが多いし。

で、SIMロックフリーのことはともかく買いかどうかといわれると、iPhone4の人なら「買い」でしょう。4Sの人は待ちでもいいかなって感じで。

2012年9月6日木曜日

Facebookへのスタンス

いきなりですが、アタシには友達がいません。ええ、もちろんリアルにですよ。ひとりもいないわけじゃないのは当然ですが、無理に増やそうとしてないのも事実です。
それでさみしくないの?といわれそうですが、まあ特には、と答えるしかない。何で?って聞かれても、自分でもわからない。まあそういう人間なんでしょうな、としかいいようがないわけです。
こんなアタシでも数は少ないとはいえ心の底から信用できる友達や知り合いはいます。それで十分と思っているのかな。というかそういう人が何人かいれば十分じゃないかと思ってしまうわけです。

さあて、表題のテーマに入ります。Facebookについては以前も何度か書きましたが、アタシなりのスタンスを書きたいと思いましてね。
リアルの友人が少ないんだから、当然Facebook上での友達も少ない。でもこれだけはいえるのですが、今Facebook上で友達になってる人は、全員大好きな人ばかりなのですよ。もしアタシがノアの方舟を持ってたら絶対乗せたい人ばかりです。
そういう人たちだから近況を見るのは非常に楽しい。アタシが大好きな人は今日こんなことをしてたんだ、と知ることは何だかすごくほっこりする行為なのです。
では逆の言い方をしましょう。
ただの知り合い、顔見知り、仕事上の付き合いだけの人。まあいや嫌いではないけど別に好きでもない人。ノアの方舟を持ってても優先的に乗せたいと思わない人。
そういう人たちの近況を見て面白いのかって話です。少なくともアタシは全然面白くない。
たとえばFacebookを完全に仕事のためのツールとして割り切るならそれで構わない。でもそうはしたくないというか。最大公約数的なことしか書けなくなるし。
じゃあFacebookを通じて仲良くというか大好きになればいいかっていうと、これは話の順序が違うんじゃないかと。というかネットだけだと、こいつ面白いな、が関の山で、好きまではならないよ。アタシが古いだけかもしれないけど。

最初に無理に友達を増やそうとは思わないと書きましたが、好きな人がいっぱいできて、極端ですがその結果Facebookの友達が1000人になってもいいのです。たぶんそれはそれで楽しいはずです。見るのしんどそうだけど。
でもFacebookって本来そういう使い方するもんじゃないのとも思ってるんですよ。その辺がTwitterあたりとは全然違う。(いずれちゃんと書くつもりですが、Twitterって実は掲示板の進化系じゃないかと思っているのです)

はっきりいいましょう。Facebookの友達の数に全然興味がない。こんだけの人しか見てないんだからつまんねーな、とも思わない。むしろ自分が見て欲しい人に見てもらえれば、そして大好きな人の近況がわかればそれでいいんです。
このブログだってそうですよ。ほとんど誰も見てない。検索とかで流しで来た人が定期的に見てくれるようになるのは、それはそれで嬉しいけど、宣伝してまで多数の人に見てもらいたいなんてこれっぽっちも思わないのです。
おそらく大勢の人に見てもらって喜びを感じるという感覚が欠落しているのでしょうね。別に選挙じゃないんだからどんな考え方なのか全然わからない大勢の人に褒めてもらうより、信頼しているひとりふたりの人に褒められた方が嬉しい。
まあ過去のことも多少は関係あるんだろうけど。
かつてアタシが旧yabuniramiJAPANをやってた頃、某巨大掲示板にリンクまで張られたりして、やたらアクセス数がありました。メールフォームも設置してあったので、それこそかなりの数のメールをもらいましたし、今でも個人的な付き合いがある人も結構います。
でもブログを再開するにあたって、ああいうのはもういいや、と。でも書きたい欲求はあるので、とにかく目立たないようにしようと。
んで大好きな人たちにだけURLアドレスを教えておけばそれでいいと。見にきてくれればさらに良しと。カジノ・ド・サンノミヤ(←旧yabuniramiJAPANの頃はこんなつまんねーネタばっかり書いてたな)

アタシの使い方が変なのかもしれませんが、ネットで人脈を広げるという発想はとうになくなり、むしろ絞ってるといった方がいいかもしれない。絞って絞って、その結果本当に大好きな人が残った、みたいな感じでしょうか。
ネットは荒波ですよ。ベイスターズの外野手じゃないよ。荒れ狂う海ですよ。そんな中を大好きな人だけが乗ったノアの方舟で漂流した方がいいじゃないですか。
お、恐ろしく綺麗にまとまった。まだいいたいことあるけどチャンスなんでおわり

2012年8月5日日曜日

iPadの感覚

iPadを実際に使い始めるまでわからなかったことが、ひとつだけあります。それは画面のデカさです。
そりゃiPhoneに比べりゃデカいのは当たり前です。そういう意味じゃなくてね。
うちにはMacとWindowsのノートが一台ずつ、どちらも13インチ前後の画面サイズです。さらにデスクトップのWindowsは40インチのテレビに繋がっています。
不思議なのは、それらと比べても感覚的にはiPadの方が画面が大きく見えるのですよ。

映画館で説明すればわかりやすいか。
スクリーンから近ければ当然大画面に見える。離れれば離れるほど小さく見える。まあ映画館の場合は音響効果や真っ暗な閉じられた室内ってことで、いくら離れていてもやはり家のテレビで見るよりは迫力があるんですが。逆に近すぎると見づらいんですよね。
実はこれはテレビに繋がってるWindowsと同じ感覚で、40インチなんだからさぞ大きいだろうと考えたのですが、あまりにも大きすぎると疲れるだけで大きさを感じない。かといってテレビから離れると、何となく細かい作業がしづらくなる。パソコンがあんまり大画面になるのも考えものというか。
じゃあ13インチのノートPCはどうなのかって話ですが、これは完全に盲点だったのですが、ノートPCの場合、キーボードってのが手前にあるんですね。厳密にいえばトラックパッドもあるし。となると必然的に目とモニタの間隔はそれなりにあるわけです。
根拠があるわけじゃないけど、ノートPCで大画面と感じるには、キーボード+トラックパッドの奥行を考えると、17インチくらいないと大画面って感じないんじゃないでしょうかね。適当だけど。でもそうなると持ち運べないですよね。

iPadのいいところは、目とスクリーンの距離が自由自在なんですよ。iPhoneよりは遠いけどノートPCよりは断然近い。何故ならキーボードがないからね。これは盲点でした。
でもそれならiPadに限らなくてもタブレット全般にいえることなんだけど、ここで威力を発揮するのがRetinaディスプレイなんです。いくら近くにもってこれるといっても、解像度が粗かったら自然と粗さを感じない距離に離すと思うんです。でもRetinaだといくら近づけて見ても粗さをまったく感じない。だから必然的に大画面に見えてしまうわけですね。
大画面に<感じる>んだけど、物理サイズは小さいので本当に気軽に持ち運べるし。まさに「いつでもどこでも大画面」を手に入れられるのはiPadだけのような。HMD(眼鏡タイプというか頭に装着する、あれ)まで入れると話がややこしいけど。というかiPadを買ってHMDの物欲は完全に消滅しました。

完全に理想をいえば、RetinaのMacBook Airの11インチ。それもよくあるシェル型じゃなくてキーボードがスライドで出てくる。トラックパッドは無しにしてマウスで全部やらせる。その上バッテリがiPadくらい持つ。そんなんが出れば最高なんだけど、まあ無理だわな。
トラックパッド無しなんてアップルは絶対にやらないだろうし、キーボードがスライドで出てくるなんてギミックもまったくアップルらしくないし。
何よりiPad並にバッテリが持つってのが技術的に無理だわ。いや、そこさえクリアできていればiPadじゃなくてMacにしてましたよアタシは。

2012年8月3日金曜日

絶滅する方言、生き残る方言

昔3年ほど福岡に住んでいたことがあります。
実際に移住する前は、まあ有り体のベタなイメージしかなくて、食い物でいえば、豚骨ラーメンともつ鍋、みたいなね。でも住んでみると裏切られたっちゃあおかしいのですが、アタシの中のイメージと乖離している部分が多々ありました。
最も驚いたのが方言です。たとえば「◯◯ばい」とか「××ったい」とかの語尾に付けるのとか、「ばってん」とかね、こんなベタベタな方言を喋る人がほとんどいないのです。中年のおっさんはまだこっちのイメージ通りの方言を喋る人が「たまに」いましたが、若者に限ると皆無といっていい。せいぜい語尾の「と」か「けん」くらいで、それすらも全然言わない若者もいっぱいいました。
たしかにイントネーションは少し違う。でも大雑把にいえば標準語との差異はほとんどないといっていい。

ここ数年東北地方に行く機会が多いのですが、やっぱりアタシがイメージする東北弁を喋る若者をほとんど見ないんですね。
そして実家がある関係で年に数回関西に帰ってますが、若者は関西弁を喋らない、なんてことはない。老いも若きも、若干の違いこそあれど関西弁です。

何だ、もしかしたら方言って関西弁以外絶滅したのか、と思ってしまうんですよ。というか関西弁の侵食が凄い。関東の若い高校生くらいの女の子の一人称が「ウチ」ですからね。倖田來未の影響なんでしょうが。
あといっこ、これは凄いなあと思うのが「キモい」の意味が変わっちゃったことです。
数年前まで関東で「キモい」といえば<肝>、つまり「肝心なところ」を動詞化したのもののはずだったんです。
ところが関西弁の「気持ち悪い」をつづめての「キモい」に変化してしまった。最初は松本人志からの発信でしょうが、他の関西系芸人も多用することで完全に意味を変えてしまったのです。

つまり極めて荒っぽい言い方をすれば、地方は標準語化し、関東圏は関西弁化していってる。ついでにいえば関西圏は関西弁のまま、ということになります。
これ、時代を進めれば、つまり未来の話ですが、標準語が関西弁に近づいていってるなら、やがて地方も関西弁に近づいていくってことになる。後数十年で全国で主だって使われる言葉が関西弁になるってことです。(いや違うな。正確にはネイティブ関西弁と、関西弁に近しい標準語か)
そうなれば関西圏出身のアンタは嬉しいだろうって?とんでもない。正直それだけは勘弁してくれって感じです。それはマイノリティを保ちたいとかそんなケチ臭い話じゃなくて、アタシは単に音の響きとして標準語の方が好きなんです。自分はロクに喋れない癖にね。

話が大幅に逸れてしまった。そうじゃない。何で地方の若者は方言を使わないのかって話です。
テレビの影響?もちろんそれもあるでしょう。しかし一番大きいのは<メール>じゃないかと思うんです。
標準語の何が優れているといっても、口語体でありながら昔でいうところの文語体を兼ねているところで、非常に読みやすい。
前も書きましたが、関西弁に限らず方言って文字にすると読みづらいんですよ。だから関東圏以外の人も文章を書く時は、いくら近しい仲で、くだけた調子でも、標準語で書くのです。

メール文化が発達して以降、若い人の文章を書く量は飛躍的に増えたはずです。たとえ短文でも毎日数十通書いてたら膨大な量になる。しかしそこで書かれるのは標準語です。
こうなると喋りが標準語に近づいていくのも当然という気がします。

さっき関西弁が侵食してきていると書きましたが、「ウチ」にしても「キモい」にしても、文章の中にも組み込みやすいフレーズだけなんです。
たとえば「ウチな、今日朝ごはん食べられへんかったんやんかぁ」みたいなわかりにくいというか文章として成立しづらい関西弁は絶対浸透しない。
(例文の意味わかります?昨今でこそマシになりましたが、数年前まで関東でこういう言い回しをすると、ほぼ決まって「え?知らないよ」と返答されました。つまりあなたも当然私が朝ごはんを食べられなかったことを知ってますよね、という風に受け取られたんです)

そう考えるとメールを標準語を書こうが何しようが方言を維持し続ける関西人は、というか関西弁は強い方言なんだなと思わされます。

何だか詭弁というか風が吹いたら桶屋が儲かる式の話になりましたが、まあこんなもんで。

2012年6月17日日曜日

二十一世紀を迎えたばかりのアタシへ

早いもので二十一世紀になってから10年以上経ったわけです。もうそんなになるのか。
ノストラダムスの予言は当たらないままミレニアムを迎え、さらにその次の年であった2001年。
この十余年、様々な出来事がありました。個人的にも、もちろんいろんなことがあり、2001年というとアタシはフツーのサラリーマンだったりしました。
んでふと思ったのですが、もし2001年の自分自身に出会えるとして、「こんな出来事があったよ」といって一番ビックリするのは何だろうな、と。
個人的なことを書いてもしょうがないので、あくまで世の中の動きの中で最も驚くようなことを探ろうかなと。

◯東北での震災及び原発事故
2001〜2012年の間で一番大きかった出来事といえばこれでしょう。が、驚きはそこまででもないかもしれません。というのも2001年のわずか6年前に阪神大震災を体験しており、これから日本のどの地域で大きな地震が起きても不思議ではないと思ってましたから。
もちろん実際に起こったらビビりまくるわけですが、話として聞かされた場合は「ああ、そういうことになるかも」とわりと冷静に受け止められそうな気がします。

◯スマートフォンなるものの普及
2001年といえばすでにインターネットは存在しており、ADSLとはいえブロードバンドもそこそこ普及してたわけです。
この年の暮れ、アタシはスマフオの前身ともいえるPDAに興味を持つわけですが、当時はコンパクトフラッシュ型の通信カードを用いて、極々軽いデータの送受信をするのが関の山でした。
今では当時のADSL並の速度で通信できて、当たり前のように電話もできるんだから、なんとまあ凄い時代になったものです。
が、当時のアタシでは知識がなさすぎて、どう凄いのかイマイチ理解できないかもしれません。

◯有名人の逝去
アタシが最も敬愛する植木等をはじめ、この十余年の間に数々の有名人が逝去しました。
しかし、特に植木等に関しては年齢的に「この期間」だったことは想像がついたわけで、残念には思ってもショックとは少し違う感情が芽生えそうです。

◯リーマンショック
これは「衝撃」とは違う意味で一番ショックかもしれません。
バブル期から落ちる一方なのを嫌というほど体験して、え、まだこれ以上大幅に落ちるのかよ、とわかったら、真面目に働くことが嫌になるかもしれません。

◯近鉄バファローズ消滅
公式には合併ですが感覚としては完全に「消滅」です。
それまでも親会社交代の経験はあったものの、球団が消滅するなんて可能性すら考えたことがありませんでした。というか完全に漫画の中の出来事だと思ってました。(漫画じゃ「優勝できなければ球団が消滅する」なんて展開はよくあるからね)
これを知ったら間違いなく衝撃を受けるでしょう。

◯阪神タイガースが二度リーグ優勝
「近鉄消滅」ほどじゃないかもしれないけど、めちゃくちゃ驚きそうです。顔が浮かぶくらい。
だって当時は暗黒の末期で、とてもじゃないけど「優勝」なんて遥か彼方にも見えませんでしたから。
で、誰が優勝させてくれたの?野村でしょ?え?違う?星野?今現在、中日の監督やってる?あの星野仙一?
となった時点で信じないかも。

◯2012年、阪神タイガース外野手・桧山進次郎、いまだ現役
オチっぽいですが、マジで一番腰を抜かしそうなのがこれです。

2012年6月1日金曜日

狭山事件を読み解かない

高校生の頃、アタシの夢はただひとつ「ひとり暮らしをする」ことでした。
何故そこまでひとり暮らしに憧れていたのか、今となってはつまびらかではありませんが、親元を離れて暮らすという行為に果てしなく自由な感じがしたんだと思います。
たいして行きたくなかった大学に行ったのも、もし大学に入ったらひとり暮らしをしてもいい、という許しを得たからで、大学まで通って通えない距離ではなかったのに狭いアパートを借りて念願のひとり暮らしを始めたんです。
それがまた中途半端な場所でして、本当なら大学のそばに住むものですけど、大学のあった場所がかなり田舎で、どうせなら街中に住みたいという願望から、自宅と大学の中間地点みたいなことろに部屋を借りたんですね。
しかしこれは失敗でした。
通学に妙に時間がかかるので、ほとんど大学に行かなくなり、念願だったマイルームで、ひたすらボケーッとしてました。さすがにマズいと思い翌年には大学のそばに引っ越したのですが、本当に何もしなかった、そして果てしなく孤独だったその一年も今となっては、それなりに思い入れがあります。
とにかく何もすることがないので、意味なく、本当にまったく何の意味もなく、近所を徘徊するようになりました。まもなく自転車を手に入れたので自然と移動距離も伸びたのですが、特に夏の暑い日など、近所にあった大きな公園を無意味に何周もしました。部屋が蒸し風呂状態だったんだもんで。

自転車で徘徊するようになってから、だいたい30分圏内の場所は定期的に行ってたのですが、中でもお気に入りの場所がありました。
そこの駅周辺は妙に好きな雰囲気で、といっても何をするわけでもないのですが、とにかく頻繁に通っていました。誰かと会うわけでもなく、何か用事があるわけでもなく、ただもう、この場所で時間が過ぎていけばそれでいい、そんな感じでした。ある意味精神が病んでいたんでしょう。
しかし引っかかるところもありました。駅の周辺は非常に雰囲気がいい。が、駅から少し離れたとある周辺は何やら異様な感じがして、正直怖さ、みたいなものを感じていたんです。
特に怖さを感じたのは、「狭山事件」、「Iさん(実際は実名)を救おう」みたいな横断幕みたいなのがやたらかかっていたからです。

いよいよ本題ですが、狭山事件は昭和38年に起きた殺人事件です。これは女子高生(とはいえ今でいう専門学校性)が何者かに絞殺・遺棄された事件でして、場所は埼玉県狭山市で起こったので、一般的に狭山事件と言い習わされています。
さっきから「田舎」とか「街中」とか「とある」とか、場所に関して妙にボカして書いてあるのは、狭山事件の容疑者とされたI氏(現在は仮出所中)が被差別関係の人だったからで、つまりはアタシがお気に入りだった駅から少し離れた場所は、被差別関係の人が多く住む地域だったんです。でなければ埼玉で起こった事件(それもその当時で事件発生から20年以上経過している)が関西の某地域で横断幕なんて出るわけがない。
そんなわけで場所を詳細に書けないのは当然というか何というか。

I氏が容疑者とされた根拠は甚だ薄弱で、こんなんでよく逮捕に踏み切れたな、と思うのですが、I氏が被差別関係の人だったために話がややこしくなってしまった側面があります。
が、事件を見ていくと、こと謎、という部分に関してはこれほど謎の多い事件も珍しい。
I氏逮捕には直前に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」(この時点では未検挙)の犯人を取り逃がす失態を犯していたため、警察が「生きたまま犯人を捕らえる」ことに執着しすぎた結果だといわれていますが、警察の二重ミス&秘密の暴露(犯人しか知り得ない情報)のでっち上げの可能性を置いておいたとしても、じゃあほぼシロのI氏でなければ誰が犯人なんだ、といわれればよくわからない。
しかもこの事件の関係者が事件後謎の自殺を遂げた者が複数いることも謎が謎を呼ぶ結果になってしまっているんです。

狭山事件、というと都市伝説として「となりのトトロ」の裏設定というか、あの話は狭山事件をファンタジックに裏書きしたものなんじゃないかとまことしやかにいわれています。
細かくは書きませんが、たしかに符合するところが多く、というか「こじつけといえばこじつけ、しかし符合といえば符合」という絶妙な線をついています。
まあアタシは宮崎作品に興味がないのでどうでもいいのですが。

そんなことより
アタシが自転車で徘徊していたのが約25年前、そして狭山事件が起こったのが約50年前です。
記憶の中にある、淡く色褪せた映像と、実際のというか、事件当時の荒れたモノクロフィルムの映像。別物といえば別物なのですが、四半世紀前と半世紀前の映像が妙にシンクロして、「狭山事件」と聞くと、あの鬱屈した日々を思い出してしまうのです。